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パンドラの箱を空けた昭恵夫人の追悼文の言葉

 

 昭恵夫人が追悼文の中で、安倍元首相の事を、「常に自分を守ってくれた、感謝している」と語った事は、よほどの安倍嫌いでないかぎり、一般国民にとっては同情を誘うに十分である。

 不仲説を真に受けた私なども、そういう事だったのかと感心し、みずからを振り返って、この夫婦愛はうらやましいと思ったほどだ。

 昭恵夫人の追悼文にはその程度の思いしか私には浮かばなかった。

 しかし、きょう7月14日の産経新聞の阿比留瑠比論説委員の「極言御免」が書いている事を知って驚いた。

 吉田松陰の言葉を追悼文で使っていたというのだ。

 つまり、昭恵夫人は、安倍晋三元首相が、父である安倍晋太郎の追悼文で言及した言葉を引用し、次のように語ったと言うのだ。

 「10歳には10歳の春夏秋冬があり、20歳には20歳の春夏秋冬、50歳には50歳の春夏秋冬があります。父、晋太郎さんは首相目前に倒れたが、67歳の春夏秋冬があったと思う。主人も政治家としてやり残したことはたくさんあったと思うが、本人なりの春夏秋冬を過ごして、最後の冬を迎えた。種をいっぱいまいているので、それが芽吹くことでしょう・・・」

 この昭恵夫人の追悼の言葉を引用して、阿比留氏はこう書いている。

 「(吉田)松陰は刑死を目前にしても、私の志を憐れみ継ぐ者がいれば、私は『後来(将来)の種子』として未来につながっていくと同志に呼びかけている。『種をいっぱいまいている』との昭恵さんの言葉は、多くの同志たちに日本の将来を託したということだろう」

 これは阿比留氏の勝手な解釈だ。

 昭恵さんはそんな深い意味を知って語ったのではないだろう。

 夫が父を追悼した時の言葉を引用して、無念さに思いをはせただけに違いない。

 しかし、重要な事は、安倍元首相が吉田松陰を敬愛していたことを教えてくれた事だ。

 そして、阿比留氏のような安倍元首相を評価する者たちが、同様に吉田松陰を英雄視している事を教えてくれた事である。

 その、吉田松陰は、刑死を前にして獄中で書いたとされる「幽囚録」で、琉球王国(現在の沖縄県)の日本領化、李氏朝鮮の日本への属国化、そして当時は清領だった満洲や台湾・フィリピンなどの領有を主張した人物である。

 松陰がつくった松下村塾の長州藩出身の多くが明治維新政府の中心で活躍し、日本のアジア進出の対外政策に大きな影響を与えたという厳然とした歴史があるということだ。

 そしてその志を継ぐ者たちが今の日本の政治の中で影響力を持ち、これからの日本の外交・安保政策に影響を与え続けようとしている事である。

 しかし、明治維新の評価や吉田松陰の評価は、いまだ日本で定まっていない。

 というよりも一般国民の間で議論すらされないままだ。

 そしていま、米国を中心とした部分講和(サンフランシスコ体制)か、中国、ロシアを含めた全体講和かの議論は、再び蘇りつつある。

 図らずも昭恵夫人は追悼文でパンドラの箱を空けてしまったのだ。

 そして、その事を、わざわざ阿比留氏がきょうの産経で教えてくれたのだ。

 阿比留氏は、当然のごとく日本の政治は吉田松陰のまいた種を咲かせるべきだと書いている。

 それに待ったをかける政治が出て来なくてはいけない。

 ポスト安倍の政治の最大の争点は吉田松陰の外交・安保政策の是非である(了)

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