戦後の日本は、国家の基本に関わる部分で、二つの大きな矛盾を抱えたまま出発し、その矛盾は70年以上たった今も日本を苦しめている。
言うまでもなく、その一つは日米安保条約と憲法9条の矛盾であり、もう一つは主権在民の民主国家日本と、世襲制である天皇制の矛盾である。
日米安保条約と憲法9条の矛盾については、いまさら私がここで繰り返す必要はない。
ここで取り上げるのは象徴天皇制についてだ。
いよいよあす即位の礼の儀式が行われる。
メディアはこぞって即位の儀式を、憲法が禁じる政教分離の原則とどう両立させるかという問題について書いている。
30年前の即位の儀式の場合と同じ事の繰り返した。
そして次の時代に代る時もまた、同じ議論の繰り返しになるだろう。
天皇制を維持する限り、この問題に結論は出ない。
この二つは矛盾するからだ。
それでは、民主主義に反する天皇制はなくした方がいいのか。
個人的にはそう思う。
しかし、国民の大部分がそう思うようにならない限り、天皇制をなくすことは出来ないだろう。
それは日米安保体制をなくすことが出来ないのと同じだ。
それではどうすればいいのか。
私の答えは、憲法9条をこの国の最上位に置くことである。
つまり憲法9条をこの国の国体にするのだ。
天皇制についてはすでにそうなっている。
憲法9条の順守義務が憲法の中に明記されており、ダメオシのように、上皇が2016年8月8日のお言葉で、象徴天皇のありかたはそういうことだと思う、それでいいか、と国民に問いかけられたからだ。
われわれ国民は、その通りだと答えればいいのだ。
日米安保条約もまた、私が主張するようにいますぐ廃棄しなくても、日米安保条約を憲法9条の下に置けばいいのだ。
すなわち、あらゆる密約を国民の前に明らかにし、その不平等性をあらため、主権を取り戻せばいいのだ。
それでも米国の方から日米安保条約を止めるとは言い出さない。
なぜなら日米安保条約は米国にとってメリットがあるからだ。
もし米国の方から止めると言い出せば、その時こそ日本は大手を振ってアジアとの平和関係の構築に舵を切ればいいだけの話だ。
アジアとの共存、共栄が実現できれば、日米安保条約の時よりはるかに日本の安全は高まる。
憲法9条と象徴天皇制と日米安保体制。
この三つの矛盾した戦後の日本の国体の中で、憲法9条を最上位に置く、つまり憲法9条を日本の国体にする。
これこそが今の日本の政治に必要なことだ。
それを提唱するワンイシュー政党である新党憲法9条が、この国の政治の中にいまこそ出て来ないといけないのである。
誰かが新党憲法9条なるものをこの国の政治の中に誕生させなければいけない。
そして、そのことは早ければ早い方がいい。
憲法9条がなくなってしまえば、元も子もなくなる。
文字通り、米国がこの国を支配する事になる。
そんなことになって、いいはずがない(了)
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