いよいよあすから6月になる。
6月19日の党首討論後に解散・総選挙になるという噂もあるが、そうならなくても
、国会は会期延長なしに6月末に終わり、すべては7月21日の参院選に向けて走り出す。
何とか間に合うように、「オリーブの木」が結党宣言できたことはよかった。
政治団体としての登録も終った。
あとは寄付で供託金をどこまで集められるか。
そして、小林興起、天木直人、黒川敦彦を上回る集票能力のある候補者を見つけ出す事ができるか。
この二つだ。
しかし、我々には覚悟ができている。
供託金が不足すれば借金すればいいし、集票能力のある候補者が集まらなくても、この三人が一体となって対米自立とベーシックインカムを訴え続ければ、100万票を集められると信じて戦う。
何よりも「オリーブの木」という名前がいい。
政治や候補者に関心のない者でも、この名前だけで100万人が投票してくれる。
私などは、そう楽観するくらい、いい名前だ。
なにしろオリーブには地中海の香りがする。
新党憲法9条のロゴでもある。
そして、米国の理不尽な経済制裁で兵糧攻めにあったパレスチナ抵抗組織ハマスの指導者が、「オリーブと塩があれば生きていける」と叫び大衆を奮い立たせた、あの反骨精神を彷彿させてくれる。
実際のところ、我々が「オリーブの木」を結成して令和最初の国政に参加することは、二つの意味で革命的なことだ。
ひとつは、いままで誰もできなかった事を実現したことだ。
既存の野党共闘では決して真似のできないことを我々はやった。
もし既存の野党が「オリーブの木」で戦うことができたなら、安倍自公政権は倒せる。
いくら小沢一郎がそう繰り返しても、絶対にできなかったのだ。
政党、政治家が保身を捨てないかぎり選挙で一つになれないからだ。
我々は違う。
組織も保身もない。
一騎当千のものが一つの目標に向かって集結したのだ。
これは画期的なことだ。
そして、何よりも画期的な事は、共通の公約に「対米自立」を掲げた事だ。
この「対米自立」は誰かが言い出したのではない。
共通の公約を議論していた中で自然発生的に生まれ、そして、皆が、「それしかない」と一致した公約だったのだ。
まさしく革命的なことだ。
ここまではいいことばかりだ。
しかし、である。
「対米自立」をもっとも強く訴える私は、同時に、「対米自立」を訴える事の絶望さを誰よりも知っている。
ここからが、きょうの、このメルマガで私が書きたい事である。
きょう5月31日の朝日と産経が教えてくれた。
在沖縄米軍基地の整理・縮小を検討する目的で、玉城沖縄県知事の肝いりで設置された有識者会議である「万国津梁会議」の初会合が、きのう5月30日に開かれたという。
そのメンバーを見て驚いた。
委員長は柳沢協二元官房副長官補であり、委員の一人は孫崎享元イラン大使だ。
いずれも対米自立を訴えてともに言論活動をしてきた仲だ。
彼らが、米ジョージタウン大のマイク・モチズキ准教授らと一緒になって、辺野古移転の代替案を考えるという。
ガス抜きの片棒をかつぐということだ。
辺野古阻止に代替案など不要だ。
米軍新基地など不要なのだ。
委員長の柳沢氏は、「どこまで思い切った提言が出来るか」と記者に問われ、次のように語ったと言う。
「そんなもの、できっこないと思う。知事の権限、能力を超えた事を申し上げるつもりはない」(産経新聞)
この言葉がすべてを象徴している。
彼らもまた、口では対米自立を訴えながら、日米同盟の枠を超える事はできないのだ。
彼らだけに限らない。
常日頃、対米自立を口する者たちに私は接触してきた。
しかし、オリーブの木に参加しようとするものはただのひとりも見つからないままだ。
これが日本の有識者の現実である。
そんな絶望的な中で、どうして選挙で対米自立の訴えが、国民に響くのだろうか。
革命は絶望と隣り合わせである。
それを承知で、私は「オリーブの木」で戦う。
そして新党憲法9条を実現して見せる。
もちろん、これは強がりである。
しかし、これまで三回の絶望的な選挙(2005年の小泉純一郎に挑んだ神奈川11区の衆院選、2007年の新社会党の9条ネットの参院選挙、そして2017年の新党憲法9条を掲げた東京21区の衆院選挙)と違って、私は手ごたえを感じている。
オリーブの木の下に仲間と共に戦える事はこころ強い。
なによりも、対米自立を掲げて戦える。
これで国民が動かなければそれまでだ。
悔いはない。
恥ずべき事は何もない。
正しい事ほど強いものはない(了)
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