新元号が決まった。
その名前の是非や、公表をめぐる秘密主義や、公表を大騒ぎするメディアについて、私はとやかくは言わない。
どんな名前になっても賛否が分かれるだろうし、新元号を担当する政権がどのような政権であっても困難な作業に違いないからだ。
そして、メディアが騒ぐのは当然だ。
騒ぐのがメディアの仕事だからだ。
今騒がないメディアはメディア失格だ。
因みに私は「令」と言う字を選んだことは失敗だったのではないかと思っている。すでに指摘されているように、命令という悪い印象が真っ先に浮かぶ。
実際のところ、命令されているという感じを嫌った徳川政権が、令徳を忌避したという過去が公然と語られる始末だ。
何よりも令と言う字が書きにくい。
二通りの書き方があるというところも混乱のもとだ。
しかし、それさえも、やがて慣れるのだろう。
しかし、この事だけは書いておきたい。
どの新聞を見ても、今度の新元号選定に際して安倍首相の強い関与があったと書いている。
ここまで書かれる以上、それは事実に違いない。
そしてそう書かれる事を安倍首相自ら許しているに違いない。
さすがに、私の予想通り、名前に「安」という字が使われる事にはならなかった。
は使われなかった。
当たったところで何の自慢にもならないが、私が思っていた通りだ。
もし首相が安倍首相でなかったら、「安」という字が使われてもおかしくなかった。
それほど頻繁に使われて来た字であり、違和感のない字だからだ。
使われなかったのは、やはり安倍首相だったからだ。
あまりにもあからさまになる。
しかし、そのかわり、いや、そうであるからこそ、公表された昨日一日、安倍首相はメディアに出ずっぱりで新元号を国民に向けてアピールしまくった。
それを見た私は、安倍首相はつくづく馬鹿正直な人物だと思った。
目立ちたくて仕方がないのだ。
自ら選んだ新元号をアピールしたくて仕方ないのだ。
そんなことをすれば、反安倍の国民から批判される事は分かり切っているのにである。
それだけではない。
新元号の時代が今よりいい時代になることは国民皆の願いであるが、残念ながらどう考えてもそうなりそうもない。
安倍首相が首相である限りそうならないのは明らかだが、誰が首相になっても、どのような政権が出来ようとも、厳しい時代は続くだろう。
場合によっては未曽有の困難に襲われるかもしれない。
それほどこれからの日本は多くの問題を抱えているのだ。
そんな時代の命名に、自分が関与した事をメディアに公然と書かせ、しかも新時代の先頭に自ら立つと喜び勇んだのだ。
その高揚は、うまくいかなかったときに、それ見た事かと倍返しで批判されるだろう。
、
あんな名前を付けたからだと、いつまでも言われかねない。
賢明な、いや、ずるがしこい指導者なら、決して新元号の選定に際して前面に出なかっただろう。
自分が選定に影響を与えたなどということは、たとえそうであっても、おくびにも出さなかっただろう。
安倍首相はこれからが大変だ。
それに気づかず本気で新時代を喜んでいるとしたら、真性の目立ちたがり屋であり、おめでたい首相である(了)
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