私は「この国は神の国ではないのか」と題して何度も書いた。
その意図は、天皇制を賛美する事でも否定する事でもない。
ましてや森喜朗(もり よしろう)元首相を擁護するためではない。
われわれ国民は、あまりにも天皇制について知らないままに過ごして来たのではないかと問うているのだ。
憲法が定める天皇制について、その象徴の意味するところや、政経分離について、疑問をつき詰める事をしないまま受け入れて来たのではないかと問うているのだ。
天皇の政治的関与を禁止する憲法違反を敢えておかしてまでも、あのお言葉を述べられた天皇陛下の覚悟に正面から向かわないまま、われわれ国民は新元号の時代に移行していいのかと問うているのである。
そして、その事は、とりもなおさず、安倍政権が突如として言い出した改元文書の公開先送りを、その真意が明らかにされないまま、メディアがそれを追認し、国民が何の疑問もなく受け入れるような事があってはならないと主張する事に直結する。
ただでさえ安倍政権によって情報公開が逆戻りさせられつつある世の中である。
戦前と戦後を共に生きられた昭和天皇からいまの平成天皇に移行した時の経緯を記した公文書こそ、いま平成から新元号に移行するいま、公開されなくてどうするのだ、と思う。
その公開を、規則を曲げてまで恣意的に延期する事こそ、安倍政権が、天皇制を国民から隠して密室化しようとしている反国民的態度のあらわれではないのか。
いまこそ野党は、天皇制に関するそれぞれの政党の立場を超えて、主権在民の民主主義の観点から、改元に関する内部の議論を含めた経緯のすべてを情報公開するよう安倍政権に求める時だと思う。
しかし、この点に関しては、メディアも野党も沈黙したままだ。
それでいいのだろうか(了)
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