きょう10月20日の毎日新聞が、あたらしく防衛大臣になった岩屋毅氏が、前任者の小野寺五典防衛相の宿題の積み残しをそのまま引き継いで、その対応に追われていると書いている。
すなわち、さっそく岩屋氏が直面したのが辺野古移設問題だ。
しかし、それ以外にも積み残しが山積している。
在日米軍機のトラブルを巡り自衛官の立ち入り検査を行うと小野寺防衛相は表明したが、いまだめどがつかず宙に浮いたままだ。
イージス・アショアの秋田、山口への配備についても地元は反発したまま配備のめどが立っていない。
陸上自衛隊のオスプレイを佐賀空港に配備するという問題でも、地権者との交渉や用地取得が進んでいない。
毎日新聞はこの事について、防衛問題に精通する岩屋毅氏でもさすがに宿題が多すぎると同情的だ。
しかし、問題は、なぜ、岩屋氏と同様に防衛問題に精通しているはずの小野寺氏が宿題を積み残さざるを得なかったか、である。
これら宿題は、いずれも日米安保はあるから起こる問題だ。
そして日米安保を最優先するから、宿題が解けないのだ。
我が国の主権が及ばない日米安保をこの国の最優先政策に掲げる限り、誰が防衛相になっても宿題はなくならない。
米軍は次々と宿題を増やしていくからだ。
そして誰が防衛相になっても、その宿題は積み残されて引き継がれる。
米軍の要求は理不尽なものばかりだからだ。
これを要するに、誰が防衛相になっても宿題は積み残され、誰が防衛相になっても同情される。
悪いのは日米安保である(了)
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