いくら国会が夏休みに入ったからといって、無駄な外遊が許されるものではない。
モスクワでの日ロ2プラス2は、見事に不毛に終わった。
きょうの各紙は予定稿通りの報道をくり返した。
唯一の成果が、2プラス2の準備会合として次官級の協議を年一回のペースで開催する事だという。
閣僚会談で合意できないものをどうして次官級で準備できるというのだ。
もっといえば、安倍首相とプーチン大統領で合意できないものを、外務・防衛大臣で合意できるはずがないのだ。
はじめから不毛な2プラス2閣僚会議だったのだ。
それでも河野外相は臆面もなく外遊を続ける。
今度はシンガポールに飛んでアセアン外相会議だ。その後に続くアセアン地域フォーラムだ。
しかし、そこでも。河野外相は不毛な外交をくり返すしかない。
もはや米国さえも北朝鮮に配慮して使わなくなった「検証可能で不可逆的な完全非核化」を叫び、北朝鮮への圧力維持を訴える。
その一方で、中国の南シナ海進出への警戒を忘れない。
日本だけが大騒ぎする拉致問題をここでも持ち出す。
まったくもって、アセアンにとってはお邪魔虫の河野外相だ。
私はアセアン外相会議もアセアン地域フォーラムも何度も出席してよく知っているが、アセアンは米中対立を好まない。
朝鮮半島の緊張を好まない。
なによりもアセアンの結束を乱すようなことはしない。
しかも、今度のアセアン外相会議やアセアン地域フォーラムは、南北首脳会談や米朝首脳会談の後の歓迎ムードの雲行きがおかしくなりつつある微妙な時期に開かれる。
米中貿易戦争が米中安保対立にまでエスカレートしそうなの緊張の中で開かれる。
アセアンは、なんとか穏便に済ませたいのだ。
つまり、南北融和や米朝和解のモメンタムを失うことなく、米中のこれ以上の対決は避けたいのだ。
そんなアセアンの懸念をよそに、河野外相は対立を煽る様な事ばかりを訴えてかき乱そうとする。
もちろんアセアン外相会議やアセアン地域フォーラムで採択される宣言は決して対決的にはならない。
すべての国の顔を立てた玉虫色の表現に落ち着く。
それが対決を好まないアセアンの流儀だからだ。
すべてが終わって河野外相の空回りがむなしく残る会議になる。
なんというひとりよがりの外交、いや外遊だろう。
同行する記者は、そうも書けないから、なんとか河野外相の貢献を作文するしかない。
かくて、それを読まされる国民にとっては、日本の外務大臣は存在感を示せたのかどうか、理解できないままの河野外相のアセアン外相会議、アセアン地域フォーラム出席となる。
すべてが手に取るようにわかる私にとって関心はただひとつ。
出席する米国や中国や北朝鮮の外相が、アジアの民族衣装を着て歌や踊りをするアセアン流儀のおもてなしにつき合う光景が見られるかどうかである。
そういうアジア的な慣例が、いまでも残っているのだろうかという事である(了)
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