すべてが遠い過去になった時、人は驚くべき証言をし、そしてそれをメディアは当たり前のように書いてしまう。
その問題が大騒ぎの中にあった時にその証言が明らかになっていれば、あるいは歴史は変わっていたかもしれないというのにである。
これから書くこともその一例だ。
きょう4月25日の読売新聞が、1990年の湾岸危機をきっかけに成立した国際平和協力法の成立当時の首相であった海部俊樹氏とのインタビュー記事を掲載している。
いまでこそ自衛隊の海外派遣は安倍首相の手で自衛隊の主要任務になってしまったが、そのきっかけはこの国際平和協力法にあったのだ。
当時を振り返って海部俊樹氏は次のように語ってる。
小沢一郎(当時自民党幹事長)も来て、「やれ(自衛隊派遣を)」と言うから、「一線を越えるわけにはいかない。けれども出来る事なら何でもやろう」と言ったんだと。
「平和協力隊だといって出しても、衣を脱いだら自衛隊じゃないか、ということになったら、国の失う信用は大きいし、そういうものを我々が望んでいるわけじゃない。だから、あの法案は初めから僕は反対だった・・・」と。
しかし、「みこし(首相)は軽くてパーがいい」と小沢一郎から陰口をたたかれたとされる海部俊樹首相では、その成立は防ぎきれず、当初の国連平和協力法こそ廃案にされたが、その後の宮澤喜一政権の下で名前を国連平和維持活動協力法(PKO法)と変えて、自衛隊の海外派遣の道が開かれた。
結局は同じ法案に終わったのだ。
そこから、サマワや南スーダンへの自衛隊派遣は一直線だ。
そしてついに安倍首相の手で安保法が成立してしまい、自衛隊の海外派遣が当たり前のようになってしまった。
前置きが長くなったが、私がこのインタビューの記事を読んで読者と共有したいのは海部氏が語っている次の言葉だ。
「外務省の中に、米国務省と連絡を取っている連中がいるわけだ。自民党もにも同調者がいるから、意見がだんだん勇ましくなる・・・」
鳩山由紀夫民主党政権下で外務官僚が米国と通じて鳩山政権に従わなかった事はウィキリークスの暴露で明らかになった。
しかし、自民党政権下の1990年当時ですら、まったく同じ事が行われていたのだ。
当時の外務官僚は亡くなっても、いまもそのカーボンコピーが健在であるというわけだ。
しかも、外務官僚が米国と通じている事を、首相みずから知っていながら、どうにもならなかったということだ。
この現実は限りなく深刻である。
どのような政権が出来ようとも、対米自立は不可能に思える理由がここにある。
新党憲法9条をこの国に誕生させ、憲法9条の力によって、日本を米国のくびきから解放するしかないと私が確信する理由がここにある。
それにしても、インタビューした笹森春樹という編集員はこう書いている。
湾岸危機への対応のため立案された国連平和協力法案に「初めから反対だった」という海部氏の述懐には驚いたと。
無理もない。
30年近く前の事だ。
若いこの編集委員にとっては、何も知らない遠い昔の事に違いない。
戦争から遠ざかるほど戦争が近づくということだ。
だからこそ新党憲法9条が必要なのである。
この私の考えは絶対に正いと思っている(了)
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