新党憲法9条

憲法9条それは希望

憲法9条はわれわれ日本国民の手で守るしかない

 北朝鮮に対する安保理制裁決議が採択された事を安倍首相は絶賛した。

 それは当然だ。

 米国に従属して、みずからこれまでにない最も強硬な決議案だと言って世界に説いて回ったのだから、たとえ米国が中ロに譲歩しても、よかった、よかったと自画自賛するしかない。

 私が不可解なのは、日頃安倍首相を批判し、護憲を唱えて来た共産党や社民党や野党共闘を進める自由党が、この制裁決議にまったく異を唱えていないことだ。

 米国が当初提案していた制裁決議は、もし、それがそのまま実施されれば、北朝鮮の生存を脅かすほど厳しいものだ。

 それは宣戦布告に等しい。

 日本があの太平洋戦争に突入せざるを得なかったのも、石油などの戦略物資を止められて戦えなくなるからだった。

 こんな制裁決議は、あきらかに憲法9条の精神に違反する。

 それにもかかわらず、この国の政治は北朝鮮非難で見事に一致している。

 この国の政治では、もはや憲法9条は守れない。

 そう思っていたら、きょうの各紙の社説を見て驚いた。

 護憲を唱え、安倍首相にもっとも厳しい論説をくり返して来た朝日と東京新聞でさえ、今度の制裁を歓迎している。

 それどころか、中ロに対し、抜け穴をつくるなと注文をつけている。

 これでは安倍首相と同じだ。

 もはや、いまの日本は政治もメディアも、本当の意味で憲法9条を守ろうとしていない。

 しかし国民はそうではない。

 憲法9条を変える事には今でも過半数の世論は反対だ。

 改憲を許さない最後の砦は国民投票による否決だ。

 新党憲法9条は、そのような国民を信頼し、そのような国民の正しい考え方を励まして、何があっても憲法9条を変えてはならないと主張する政党である。

 いや、それにとどまらず、いまこそ憲法9条を国是として世界に掲げる政党である。

 憲法9条の精神に最も忠実な、本物の護憲政党である(了)

 

コメント & トラックバック

  • Comments ( 3 )
  • Trackbacks ( 0 )
  1.  憲法遵守?憲法って何だろう。最高法規とか国家権力を縛る物とか言われているけど。1条・9条などの主要条文以外、憲法条文のほ

    とんどは知らない。例えは悪いが、交通法規(標識)とある意味、似ているように思うのだが。憲法を考える際、道路交通法を鑑みよ

    う。道路標識時速60㎞とか掲げているが、どれ程の人がスピード制限を遵守していることだろう。憲法九条もこのスピード制限標識と

    同様なものではないだろうか。時速60㎞という制限速度数値は、例え現実的ではないとしても変えられぬモノだろう。もし、それを渋

    滞の一因だとして遅過ぎるからと、70、80と現実的なスピードに合わせて変えていこうものなら、とめどなく交通事故の危険性が高

    まるだろう。だから、非現実的だが敢えてこれだったら安全が確保されるだろうと思われる一線を画すこととなるのだ。だが、そうした

    速度制限の道路標識を尻目に、ほとんどのドライバーはスピード違反取り締まりネズミ取りに引っ掛からなければ良しとして、日常的に

    スピード違反を繰り返している。憲法条文も多分にこうした現実が該当しているのではないだろうか。アベ政権が目論む解釈改憲も、憲

    法条文そのものは変えずに、九条という暴走スピード違反制限を尻目にそれ行けどんどんと遵法精神をかなぐり捨てて突っ走る。いつも

    日常的かつ目の前に掲げられているのだが、それを直視したりすることはない。特に最高速度表示の物なんて、命に直結する標識なの

    に、ほとんど見て見ぬふりだ。一体、十人中何人のドライバーが最高速度50kmを遵守して運転しているのだろう。もし十人ともが遵

    守者だとしたら、たちまちそこらじゅうの道路で大渋滞となるだろう。大多数の者は、普通10kmオーバー程度で運転しているのでは

    ないか。それで何とか道路状況が適正に保たれているのではないか。だが、やはり基準が必要と言うことで、これくらいの速度なら何と

    かおさまるだろうと、あらかじめハードルを高くして数値が設定されているのではないか。憲法条文(特に9条など)もそれと同様なの

    ではないか。高い目標・理想をハードルとして掲げ、社会が秩序だった状態になるようにしているのではないか。だが、実際はどうかと

    言うと、それはあくまでもプラトンの説くイデアの世界なのだ。従って憲法9条の額面通り全てを律することは不可能であり、ほとんど

    のドライバーが速度違反ギリギリの10キロオーバー前後で運転するように、ある意味、「遊び(=幅)」的許容範囲が暗黙裏に必要不

    可欠となるのではないか。正しく幅を持たせておくと言う事である。これがないと、全ての営みはギクシャクして、たちまちやってられ

    なくなる。かと言って、許容範囲は妥当かつ適正でなければならないのは当然だ。「何でもアリー」になれば、それこそ誰も居なくなる

    世界となってしまう。国際法の父グロチウスもそれを考えたのだろう。戦時国際法が必要になるわけだ。人殺しをする上でもルールに

    乗っかって殺れと。

  2. そもそも国連って、アメリカが支配し易い世界を作るための玩具でしょ。そんなオモチャは捨てちまおう。

  3. 朝のNHKで、北朝鮮制裁決議履行に向けて、安倍首相は「北朝鮮に、これまてにない高いレベルの圧力をかけ、政策を変えさせていくことが大切」と述べ,河野外務大臣と、来週ニューヨークを訪問し、国連総会に出席し、決議の完全な履行を各国に働きかけると述べた。

    世界には難民が大勢いる。350万人規模の難民の子が教育をうけられない。国連で、難民への教育支援を国際社会に呼びかけることこそするべきことだ。

    日本の指導者が、戦前戦後の歴史をもう一度しっかり再考すれば、北朝鮮への対応も自ずとでると思う。

コメントは承認後に公開されます

*
*
* (公開されません)

Comment On Facebook