民進党代表選の告示日である8月21日にあわせ、今日発売の週刊フラッシュ(9月5日号)誌上で、キャスターの辛坊治郎が、代表選後の民進党の末路について「大胆予想」している。
その要旨はこうだ。
つまり、枝野候補が勝てば民進党は分裂し、前原候補が勝てば、しばらくは、民進党は安定すると。
なぜなら、枝野候補が勝てば、前原候補を支持した保守系議員は新党をつくるか小池新党に参加するかの動きを見せる。
逆に前原候補が勝てば、左派は民進党に留まらざるを得ない。
左派が民進党から出られない理由は、左派が民進党から飛び出せば、共産党と組むか、かつての社会党のように消えて行くしかなく、そのどちらも出来ないからだ。
そして、前原代表の民進党は、当面は安定するが、支持率は低迷したままで、小池新党が出来て人気が出始めると民進党は草刈り場になる。
結局、前原、枝野どちらが代表になっても民進党には厳しい時代が来る。
以上が辛坊治郎の「大胆予想」である。
その予想が当たっているかどうかはもちろんわからない。
しかし、民進党代表選の告示日にあわせて辛坊治郎ごときに、こんな予測を書かれるようでは、民進党はお終いだ(了)
民進党は終わっている。確かにそうかもしれませんし、実際たぶんそうなのでしょう。ただ、民進党が終わっているとして、ならば自民党政権が永続するのが良いのか。そうは思わない人は少なくないのではないでしょうか。ならば、民進党に代わる新たな受け皿が必要か。必要でしょうが、その受け皿は、民進党がだめならば、より一層右傾化したもの、つまりはっきり言えば、自民党と大差ないものになりはしないでしょうか。それで良いのか、ということこそが問題なのではありませんか。それで良くないのなら、まだしも、終わっている民進党を何とか延命させるほうが多少はましなのではないでしょうか。
民進党が終わっているかどうかということは、どこまで行っても結局こういう問題なのではないでしょうか。
辛坊治郎も、クジラに当て逃げされ、一時は死線を彷徨った経験があるのに、未だに、読売のお先棒を担ぎ続けてる。同年代の者として、哀しい思いに駆られます。大体において、革新的姿勢から保守的姿勢に変容するのが、一般的な人生行路なのでしょうが、僕は、逆の人生行路を辿る人に、賛辞を贈りたい。辛坊は、前者の人間で、天木さんは後者のタイプではないでしょうか。殆どの者は前者に該当する。それが、大人になるって事なんだろうが、僕は違うと思うんです。変な悟りを開いたような大人には、なりたくない。そもそも、「悟りを開く」っていうのは、分かり易く言うと、「諦める」っていう事です。現状のドウシヨウモナイ状況に対し、少しも抗おうともせず、諦め素直に受け入れる。そんなの、僕は納得できない。米帝支配のドウシヨウモナイ状況と言うのは、「死」というドウシヨウモナイ状況とは、訳が違う。僕の死は僕のみで済む事ですが、米帝支配のドウシヨウモナイ状況は、それだけでは済まない問題である。僕の死を嘆き涙してくれる存在にまで、命の危険を与え続ける状況を、素直に受け容れられよう筈なんてない。辛坊治郎氏には、そうした事まで踏まえた、豊富な経験値を生かせる「大胆予測」をして欲しいものだ。