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ひとまちがいでA級戦犯を免れた石原莞爾

 読者の皆さんは、満州事変の首謀者である石原莞爾がなぜA級戦犯を免れたか知っているだろうか。

 私は知らなかった。

 東条英機と仲が悪かった石原が東条の戦争に反対したからではないか、ぐらいにしか考えていなかった。

 ところが、石原莞爾がA級戦犯を免れた理由が、なんとひとまちがいだったからだというのだ。

 読売新聞に「時代の証言者」という連載記事がある。

 この二週間ほどは、実証史学者の秦郁彦氏のことが書かれている。

 きょう4月3日の読売新聞で、その秦郁彦氏の証言が教えてくれた。

 東京裁判が開かれる前の検事団によるA級被告を選定する席で、経済人の石原広一郎を石原莞爾と勘違いしていた事が判明した。慌てた検事団が入院中の石原莞爾に面接したが、すでに石原はその時「重態」のため調書が作れず、被告リストから外された、というのが実情だったというのだ。

 驚くべき証言である。

 因みに秦郁彦氏は、3月28日付の読売新聞の「時代の証言者」の中でも次のような太平洋戦争開戦の驚くべき史実を語っている。

 「日本が米国との戦争を決意する過程を主導したのは誰か。主役であるはずの海軍は自信がなくて、最後までふらふらしていました。その結果、陸軍のタカ派が突出します。軸になったのが、参謀本部の田中新一作戦部長、服部卓四郎作戦課長、辻政信班長のトリオなんですね。私が田中新一元中将をヒアリングして感じたのは、主敵を米国と見定める意識が希薄だったということです・・・米国とどう戦うかという戦略戦術上の知恵は乏しかった。それはある意味では当然でした。明治以来、陸軍の仮想敵はソ連であって、米国ではない・・・対米戦は、海軍の戦争だという意識なんです・・・」

 そして秦郁彦氏は田中新一元中将とのヒアリングで、1941年12月8日という開戦日は、翌年に対ソ戦を発動する時期から逆算して決めた事を知ったというのである。

 当時の陸軍と海軍は犬猿の仲であったことは広く知られている。

 日本はこんな軍部の無責任な行動により、取り返しのつかない戦争に突入していったのである。

 史実を知ることは重要な事である。

 そして我々が知らされている史実は、ほんの一部であり、それさえも今後の検証によっては変わり得るのである。

 情報公開がどれほど重要であるかだ。

 ウソを本当だと思い込まされる情報操作が。いかに危険であるかという事である(了)

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