きょうの各紙がこぞって報じているのが日豪安保共同宣言だ。
いくら「広義の同盟」とか「準同盟」といった表現でごまかしても、そして「宣言」は「条約」ではないと強弁しても、この日豪安保宣言はまぎれもない日豪軍事同盟だ。
そして軍事同盟は、あの1959年の東京地裁の伊達秋雄裁判長が日米安保条約について明快に断じたとおり、憲法9条違反だ。
当たり前だろう。
憲法9条は戦力不保持と戦争放棄を明確に謳っている。
日米軍事同盟である日米安保条約は憲法9条違反なのだ。
その伊達判決が、超法規的措置、つまり高度の政治的判断を要する日米安保条約に司法は介入しない、という屁理屈をつけて却下され、差し戻し判決で逆転判決を受けたのは、日本が米国に負けて、事実上の米国占領下に置かれたからだ。
そして1951年のサンフランシスコ講和条約を締結して占領が終った後も、今度は日本の意志で日本は日米安保条約を改定して固定化した。
そういう、今を生きる我々にはどうしようもない歴史的矛盾があるから、日米安保条約だけは、憲法9条と矛盾しても、例外的に認められてきたのだ。
いや、国民の中に反対の声があっても、どうにもならなかったのだ。
しかし、今度の日豪安保宣言は違う。
いまの政治が自らの判断で決めたのだ。
そして、いまの日本国民が、ただの一人も反対せずにそれを許したのだ。
もちろん、ここで言う「ただの一人」とは政治家たちの事である。
私を含め反対する国民はいるだろう。
しかし、そんな無名の国民が反対したところでどうにもならない。
国民の意志を政治の場で代弁する政治家が反対しなければ、それが日本の意志になるのだ。
いまの護憲政治家の中で、体を張って岸田首相の訪豪に反対した者はただの一人もいなかった。
今度の訪豪の目的が日豪安保宣言の発表にあった事は明らかだったというのに、その訪豪に反対した者はただの一人もいなかった。
豪州に許されるなら、次は英国だ。フランスだ。
いや、その気になれば、どこの国とも日本は軍事同盟を結べることになる。
今度の日豪安保宣言にただの一人も反対しなかった日本に、憲法9条を誇る資格はない。
我々はその認識から再出発すべきである(了)
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