コロナ危機で日本中が苦しんでいる時に、令和天皇がひとことも発しないのはどうしたことか。
この疑問を最初にメディアで投げかけたのは月刊情報誌「選択」だった。
その事を私は6月15日のメルマガ第333号で解説してみせた。
それからひと月ほどたって、7月10日に発売された月刊文芸春秋8月号に政治学者である原武史氏が、「天皇と雅子皇后はなぜ沈黙しているのか」と題する寄稿を寄せた。
せめてビデオメッセージでも発せられないものか、という問いかけである。
いずれも天皇制の存続にかかわる極めて重要な問題提起である。
私は上皇が天皇の時にコロナ危機が起きていたらどうされただろうかと思う。
おことばの発出どころか、現場に足を運んで、苦しんでいる人たちとその苦しみを共有されたに違いない。
もちろん緊急事態宣言が出されて、国民が皆自粛しなければいけない時は何もできない。
しかし、いまは違う。
きょうの報道をみると、安倍首相はあす熊本の豪雨被災地を視察するという。
菅官房長官はきのう北海道まで出かけて行って、先住民族アイヌの文化復興をテーマとした国立施設(ウポポイ)を訪れている。
限定的ながら注意すれば行動はできるようになったのだ。
選択の記事が書いたように、もし安倍首相が令和天皇には平成天皇のような勝手な真似はさせないと、みずから送り込んだ宮内庁の官僚長官に命じて象徴天皇の行動を差配しているとすれば、象徴天皇制は完全に形骸化する。
おりから安倍首相は憲法9条をどんどんと形骸化し、最後は憲法9条をなくそうとしている。
だったら安倍首相の手で象徴天皇制もなくさなければいけない。
すなわち、憲法を変えようとするなら憲法9条とともに憲法1条から8条を変えなくてはいけないのだ。
なぜなら、戦争責任の免除によって天皇制を象徴天皇制の形で残す見返りに、戦争放棄と戦力不保持を謳った憲法9条を受け入れたからだ。
この二つは、日本が国際社会に復帰した際の、いわば国際約束なのである。
戦争体験のある上皇はそれを承知のはずだ。
だからあのことばを発せられたのである。
令和天皇はいまこそあのおことばを再現させなければいけない(了)
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