平成天皇から令和天皇に代って丸1年以上が経つが、令和天皇の存在感がまるで見えてこないと思うのは私だけだろうか。
もちろん、そうではない。
情報誌「選択」が皮肉を込めて辛らつに書いた。
コロナ危機で国民が苦悩しているときに、令和天皇のお言葉がひとつも発せられないのはどういうことかと。
しかし、この選択の記事は、令和天皇には酷である。
平成天皇が例外的だったのだ。
昭和天皇の負の遺産を引き継ぎ、はじめての象徴天皇としての役割を担わされた平成天皇は例外だったのだ。
平成天皇が昭和天皇の後を引き継いだ天皇だったからこそ、二度と戦争の惨禍をくり返してはいけないという誓いを日本と日本国民の統合の象徴として身をもって実践されたのだ。
そして、30年の在位の中で、みずからが実践して来た象徴天皇像をことごとく否定した安倍晋三という首相が現れたので、どちらが正しいのか国民に選択を迫るしかない、そうでなければ象徴天皇制の意味はなくなる、そう危機感を抱いて、憲法違反を覚悟の上で訴えられたのだ。
そんな平成天皇の存在感を令和天皇にはじめから期待するのは酷なのだ。
そして、そんな令和天皇に、もうひとつの厳しい制限が加えられた。
宮内庁はきのう6月17日、令和天皇の相談役を務める「宮内庁参与」について人事を一新すると発表した。
その陣容は五百旗頭真立大理事長(76)、寺田逸郎前最高裁長官(72)、風岡典之元宮内庁長官(73)の三人だ。
いずれもきょう18日に発令される。
問題は、同じ18日付で退任することになるこれまでの宮内庁参与との比較だ。
退任する宮内庁参与の顔ぶれは次の4人だ。
渡辺允元侍従長(84)、国松孝次元警察庁長官(82)、羽毛田信吾元宮内庁長官(78)、竹崎博允元最高裁長官(75)
このうち宮内庁長官や最高裁長官は順送りの人事である。
そして国松氏の後任は五百旗頭氏に違いない。
五百旗頭氏は防衛大学校校長を歴任しているから防衛官僚としてカウントされたのだろう。
警察官僚のあとは防衛官僚というわけだ。
ところが渡辺允氏の後任が見当たらない。
渡辺允氏は元外務官僚から侍従長に転じた人物であり、平成天皇と同年代でもあり、平成天皇が最も信頼を寄せていた人物だ。
平成天皇の平和によせる思いもこの渡辺允氏の助言があったに違いない。
はたして渡辺氏の後任は後日発令されるのだろうか。
それとも、外交に関する相談役は要らない、外交は政府の専権事項だ、そう言わんばかりに、安倍首相から差し向けられた西村宮内庁長官が渡辺氏の後任を置かない事にしたのだろうか。
いずれにしても、令和天皇が外交で頼る相談役はいなくなったということだ。
あるいは国際学者の五百旗頭氏がその役を担う事になるのだろうか。
そうなれば日米同盟が最優先されることになる。
よほどの強い意思と使命感がないかぎり令和天皇は、文字通り象徴的な存在になってしまうだろう。
令和時代の象徴天皇制は前途多難である(了)
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