検察庁法改正問題がここまで大きくなったのは、権力犯罪を追及する検察庁の幹部人事を権力が恣意的に左右することが出来れば、権力者の不正がまかり通る、国家の崩壊につながる、というところにある。
しかし、検察官も官僚だ。
この問題の根本問題は、官僚人事に政治がどこまで介入すべきかというところに行きつく。
この問題は、かつては逆の議論があった。
つまり官僚人事を官僚の独占にまかせていいのかという議論である。
つまり官僚は官僚の組織防衛の論理があり、官僚人事を官僚に任せてしまえば官僚が政治を上回る権力を持つという大問題がその時は指摘されていたのだ。
実際のところ、それまでは、官僚の人事は事務次官が決め、大臣は事務次官の決めた人事にハンコを押すだけであった。
そうであるかぎり、官僚は大臣よりも事務次官の評価を気にして、事務次官の下に官僚組織が自己完結し、政策面においても、大臣が何を言っても官僚組織は言う事を聞かなくなる。
省益が優先されて国益がないがしろにされる。
だから少なくとも幹部官僚の人事は政治が決めなくてはいけないとなる。
実際のところ、私も官僚として内部で人事を見て来たが、その弊害は確かにあった。
官僚同士のとてつもない見苦しい人事競争があった。
官僚人事の政治主導を言い出し、実行したのが民主党政権だった。
ところが民主党政権は官僚を使いこなせず、最後は官僚に見放されて倒れた。
そこに登場したのが、出戻り安倍第二次政権であった。
菅官房長官と組んで鳴り物入りで内閣人事局をつくり、政治主導で官僚人事をほしいままにした。
そこまではまだいい。
官僚人事を国民が選んだ政治家の政治主導で行う事自体は中立的であり、うまく運用すればむしろ好ましい結果になる。
しかし、安倍首相があまりにも悪すぎた。
あまりにも権力を私物化し、国民の利益を蔑ろにした。
だからあらゆる官僚人事が歪められたのだ。
官僚人事の政治主導と言えば、米国のように、少なくとも幹部官僚の人事は国会でその適否を審議し、最後は国会承認の形で決めるように日本もすればいいのだ。
今度の検察庁法改正の問題がどこに落ち着くにせよ、次は官僚幹部の人事は国会承認にすべきだという議論に移るべきである(了)
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