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コロナ危機の社説で「戦利品」という言葉を使った東京新聞

 今度のコロナ危機に言及する各国首脳の言葉やメディアの表現に、戦争を想起させる言葉がやたらに使われる。

 多くの人命を一度に奪う異常事態であることが、戦争を想起させるというわけだ。

 しかし、私は軽々に戦争用語を使うべきではないと思う。

 そう思っていたら、きょう4月19日の東京新聞が、「試練の『戦利品』を未来へ」という見出しの社説を掲げていたことを見つけた。

 その社説の趣旨は、人類は過去にペストというコロナよりもっと深刻な感染に見舞われたことがあった。

 しかし、ペストがルネッサンスにつながり、近代への扉が開いた。

 学校が休校になり、手持ちぶたさの間に、ニュートンは「万有引力の法則」などを突き止めた。

 今度のコロナ危機も、ニュートンのように少しでも多くの『戦利品』を分捕れるよう、知恵を絞りたいと思います・・・

 そういう趣旨でその社説はしめくくられている。

 これまでの私なら、何も気づかずに読み過ごしたに違いない。

 しかし、私はここ数カ月の間、京都の耳鼻塚についてその歴史的背景を勉強し直した。

 そして、私が知った事を一人でも多くの日本人に知らせたいと思って本を出版しようと作業して来た。

 その過程で知ってしまったのが、京都の耳鼻塚の前に立てられている京都市の看板の説明文だ。

 その看板には、次のような文章が書かれている。

 「・・・秀吉輩下の武将は、古来一般の戦功のしるしである首級のかわりに、朝鮮軍民男女の鼻や耳をそぎ、塩漬けにして日本へ持ち帰った。それらは秀吉の命により、この地に埋められ、供養の儀がもたれたという。これが、伝えられる「耳塚(鼻塚)のはじまりである・・・」

 これほど残酷な事をしておきながら供養するなどと、よくもあつかましく言えるものだと思うが、私の注目したところは、削ぎ落した耳鼻は、戦功のしるしだったと書いているところだ。

 戦功と言えば聞こえがいいが、削ぎ落した耳鼻は、戦利品だったと言っているのだ。

 この京都市の説明文は、批判を受けてこれまでも何度も書き直されて来たらしいが、それでもまだ、こんな説明文を掲げたままだ。

 私は必ず問題にされる時が来ると思っている。

 その前に、日本人の手で正しく鎮魂・供養されなければいけないと訴えるのが、私の出版の目的だ。

 どのようなたとえでも、「戦利品」などと言う言葉を軽々しく使ってはいけない。

 かつての私なら、そうは思わなかっただろう。

 しかし、豊臣秀吉が、朝鮮出兵の際に、武将たちに競って朝鮮人の軍民男女の見境なく耳鼻を削ぎ落させ、それを戦功として褒美を与えた事を知って、軽々しく「戦利品」という言葉を私は使えなくなった。

 ましてや、そんな言葉を社説の見出しに使う東京新聞は、本当に平和を希求する新聞かと疑うようになった。

 これもまた豊臣秀吉の朝鮮出兵の歴史を学び直した「戦果」、いや「成果」に違いない(了)

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