きのう5月31日、河野・ラブロフ外相会談が行われ、北方領土問題は何の進展もなく終わった。
当然だろう。
安倍首相が1956年の日ソ共同宣言をもとに2島先行返還の賭けに出て、見事に破れていたからだ。
このことをきょう6月1日の朝日が教えてくれた。
石橋亮介、竹下由佳両記者による渾身のレポートだ。
いまから思えば、昨年9月12日にウラジオストックで「あらゆる前提なしに、年末までに平和条約を結ぼう」とプーチンが言い出した提案がそれまでの交渉を一変したと言う。
このプーチン大統領の発言の引き金を引いたのは安倍首相だった。
すなわち、その直前の安倍首相の演説の中で、「(平和条約の締結を)いまやらないで、いつやるのか」といったため、売り言葉に買い言葉で、それなら「前提条件なしで年内までに平和条約を結すぼう」となったのだ。
これに応じる事は、4島の帰属なくして平和条約の締結なし、というこれまでの日本政府の方針に反することだった。
しかし安倍首相4島返還にこだわることを守旧派と決めつけ島先行返還に舵を切った。
そして昨年11月14日のシンガポールにおける日ロ首脳会談で、「日ソ共同宣言に書かれている内容を完遂する形で平和条約を結ぼう」とプーチン大統領にもちかけ、これをプーチン大統領が受け入れたため、日ソ共同宣言を基礎として交渉を加速させることで合意したかに見えた。
実際のところ、これを見た首相周辺は「安倍首相は一気に賭けに出た」と語り、安倍首相自身も周辺に、「プーチンでなければロシアの世論を押し返せない。これは最後のチャンスなんだ」と有頂天になって周辺に語っていたという。
その通りになれば2島返還が達成され、歴史に名前を残す首相になれた。
ところが、今年1月からはじまった平和条約締結交渉でいきなり行き詰まった。
例のラブロフ外相の、「日本側が第二次大戦の結果を認めるのが第一歩だ」と言う発言である。
つまり、日米同盟がある限り北方領土は1ミリたりとも返さないということだ。
つまりプーチン大統領ははじめから返すつもりはなかったのだ。
それどころか、日ソ共同宣言をつぶしたダレスの恫喝と同じことを、今度はプーチン大統領が言い出したのだ。
歴史の逆戻りである。
これを要するに、安倍首相は、これまでの日本の方針を捻じ曲げてでも2島先行返還に舵を切るという賭けに出たのに、見事にその賭けに敗れたのだ。
プーチン大統領にしてやられたのだ。
こうなると、もはや後に続く日本の首相は何も出来なくなった。
それはそうだろう。
2島先行返還でもいいと原則を曲げてまで大譲歩しても、それでも返ってこなかったのだ。
もはや切り札は何もなくなった。
あとは北方領土をあきらめるか、第二次大戦の敗戦前に時代を戻すしかない。
つまり戦争で取り返すしかないということだ。
賭けに出て敗れた安倍首相のせいで、北方領土交渉はもはや誰がやっても解決しなくなったのである。
ましてや、河野・ラブロフの外相でベルではどうにもならないのだ。
安倍外交は内閣総辞職ものだと私が繰り返す理由がここにある(了)
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