3日ほど前の朝日が一段の小さな記事で報じた。
東日本大震災における米軍の救援活動「トモダチ作戦」に従事した兵士らが損害賠償請求を東電に求めた訴訟で、米連邦地裁が請求を却下したと。
当然だろう。
米兵が訴える相手は東電ではなく、トモダチ作戦に従事する事を命じた米軍であり米政府のはずだ。
そう思っていたら、その日に発売された週刊文春(3月14日号)に、「小泉純一郎が集めた2・5億円が米兵に届かない」という記事を掲載した。
その要旨はこうだ。
東電を訴えた「トモダチ作戦」被ばく米兵の動きを知った小泉元首相が、「日本人として見過ごせない!」と感動し、一肌脱いで「トモダチ作戦被爆者支援基金」を呼び掛けたのは2016年だった。
その後目標の1億円を超えて、約三億円まで集まった。
ところが、支払い作業が進まないまま、そのほとんどが使われずに事務局である城南信用金庫に眠ったままだという。
支払いのめどが立たないと言う。
この週刊文春の記事には驚いた。
なぜ、こんなことが起きたのか。
事務局の仕事の不手際がその理由であることは週刊文春の記事の通りだろう。
しかし、私は、そもそも「トモダチ作戦」に従事して被ばくしたと訴える米兵たちの組織そのものが不透明な組織であるからだと思う。
それよりもなによりも、原発事故対応に従事させられて被ばくした日本人非正規労働者の被ばくよりも、「トモダチ作戦」被ばく米兵救出を、涙を流して優先させた小泉元首相の本末転倒と対米従属ぶりにあると思っている。
もはやトモダチ作戦米兵救出劇など、日本人は誰も関心を持たないだろう。
残っている2・5億円は、あの時福島原発事故の後始末に駆り出され、使い捨てられた非正規労働者の救済に回すべきだ。
寄付した者たちも異存はないだろう。
過ちを改めるに憚ることなかれ、である(了)
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