天皇陛下の在位30年記念式典で天皇陛下が語られた言葉の中で、「民度」という言葉が出て来た時、私は一瞬ぎょっとした。
民度と言う言葉は、私にとって悪い意味で使われる言葉だからだ。
もちろん言語学的に言えばそうではないかもしれないし、あの時の天皇陛下の言葉は決してそうではなかった。
いま私はTBSの午後の娯楽番組「ひるおび」を見ながらこれを書いている。
この番組は、読売テレビ系の同様の娯楽番組と並んで、その低俗性を競っているような、低俗な政治、社会批判番組だ。
ゴーンの変装をいまでも面白おかしく批判している。
あの時ゴーン氏は車に乗り込み確かに涙をぬぐっていた。
長き交流のつらさと釈放された喜びから自然にあふれた感情の発露だ。
どんな強い人間でも、メディアを避けたかったろう。
すぐに記者会見を開かなかったことは当たり前なのだ。
肩透かしを食らわされたメディアの八つ当たりである。
大騒ぎしなければメディアのネタにならないのだ。
そもそも、監視カメラで監視する事を釈放の条件にし、行動や通信の自由を奪う事を当たり前と言わんばかりのこの国の検察、司法はどうなっているのか。
ゴーン氏の人権はどうなっているのか。
その事を当然のように報じ、その事を誰も言わないこの国の民度は一体どうなっているか。
この国は決して世界に誇れる国ではない。
それどころか、世界の水準から見ても、身勝手で卑怯な国になり下がってしまったごとくだ
目立つことを嫌ったり、政治に無関心なのも、実は、単なる控えめな国民性でもなければ、出る杭は打たれる事を嫌い、協調を重んじる謙虚な国民性でもない。
権力批判をして得するものはないと考えたり、落ちたものを皆でたたけば怖くないと考える、姑息で、小心者の国民性の裏返しだ。
まさに国民が一億総安倍首相化しているのだ。
安倍政権が続くのも無理はない(了)
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