情報公開法が出来て、外務省は過去の外交文書を定期的に公開せざるを得なくなった。
そしてきのうまた、外務省はその一部を公開し、今日のメディアが一斉にその解説をしている。
ついに1987年まで来た。
レーガン大統領と中曽根首相の時代まできた。
しかし、その一方で岸信介の訪米や安保条約改定時の外交文書まで公開した。
安倍首相の日米同盟強化を応援しているのだろうか。
それとも、多くの情報を一度に公表して、煙に巻こうとしているのだろうか。
私が注目したのはもちろん岸首相の訪米前後の外交の数々だ。
中曽根・レーガン時代は、すでにその時私は外務省にいて、そのほとんどは見て来たものだから目新しいものはない。
やはり日本外交の闇は、日米安保条約をめぐる密約、密議の数々の中にある。
そう思って私は岸信介首相の訪米前後の公開情報に注目した。
そして気づいた。
砂川判決をめぐる田中耕太郎最高裁長官とマッカーサー米国駐日大使の密議の部分がすっぽり抜けている。
この密議はすでに米国の極秘電報の公開によって明らかになっている。
これだけの密議だ。
外務省に関連情報がないはずがない。
それらが保存されていないはずがない。
それなのに、砂川判決当時の岸信介首相や藤山愛一郎外相と米国側の
やり取りがまったく公開されない。
外務省の文書公開はいかさまである。
膨大な資料をいいことに、そのごく一部しか公開しない。
しかも肝心なところは全く公開しない。
国民は、情報公開法を武器に、戦後の日米外交史の最大のタブーに迫
らなければいけない。
そしてそれは岸信介首相の孫にあたる安倍晋三首相の時にあきらかに
されなければいけないのである。
そうすれば間違いなく平成の安保闘争が起きる。
平成の安保闘争無くして平成という時代を終わらせてはいけないので
ある(了)
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