きょう10月11日の東京新聞が、「ニュースの追跡」で、昨年1月から米軍岩国基地に配備が始まったF35B戦闘機に対する住民の不安が広まっていることについて書いた。
すなわち、先月(9月)28日に米南部サウスカロライナ州で米海兵隊仕様の最新鋭ステルス戦闘機F35B機がはじめて墜落事故を起こした。
同じ機種が16機も配備されている米岩国基地周辺の住民の不安は高まるばかりだという。
市民団体が原因究明のための飛行中止を求めているが、市や国は米軍に要請せず、飛行は続いている。政府は率先して飛行中止を米軍側に求めるべきだと。
これまでの私なら、その通りだ、さすがは、いまとなっては朝日よりもリベラル、護憲紙になった東京新聞らしい記事だと評価しただろう。
しかし、いまは、こんなおためごかしの記事を書いて何の意味があるのか、批判したくなるほどだ。
辺野古阻止もそうだ。
横田基地へのオスプレイ正式配備もそうだ。
もっといえば、米国に無理やり買わされて、いやがる秋田や山口に配備しようとしている地上型迎撃ミサイルシステムについてもそうだ。
いくら反対しても、どうする事も出来ない。
日本政府もどうすることも出来ないのだ。
ましてや地方政府など、なにも出来ない。
なぜなら、日本政府は米国政府と日米安保条約を締結し、米軍が好きな時、好きな場所へ、好きなだけの軍人や基地を配備することを認めているからだ。
それが日本の防衛の為ならまだ許せる。
しかし、米軍の戦争の為に協力させられているのだ。
それが日本国民の納得ずくなら仕方がない。
しかし、日本政府はそのことを国民に知らせずに米国との密約で認めているのだ。
これを要するに日本政府は密約によって日本の主権を放棄して来たのだ。
そして、それは何も安倍政権に限らない。
これまでのどの自民党政権でもそうだ。
いや、自民党政権が民主党に政権交代しても同じだ。
社会党が自民党と連立政権を組んだ時でさえそうだった。
立憲民主党や国民民主党が野党共闘で政権をとっても同じだ。
つまり日米安保条約を認める限り、どうにもならないのだ。
東京新聞がそれを知らないはずがない。
東京新聞が書くべきは、国民的議論を起こし、日米安保体制を見直すか、さもなければ、住民の不安や犠牲はがまんするしかない、いちいち文句を言うな、ということなのだ。
どっちの選択をするのか、国民に迫ることなのである。
その前に東京新聞の姿勢を読者に明らかにすべきなのである。
もはやそういう段階に来ているのだ。
日米地位協定の改定交渉を始める時は待ったなしである(了)
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