東京五輪の1年延期がドタバタ劇の末に来年の7月23日からで最終決着した。
コロナ危機が発生していなければ今年7月24日から始まっていたはずだから、わずか一日違いの、丸一年の延期となったわけだ。
だったら、はじめから1年延期で決定しておけばよかった。
それで終わりだったのだ。
なぜここまで迷走し、そして最後に急転までして決まったのか。
その理由は、すべて安倍首相が自分で動き、自分で決めようとしたからだ。
自分の手で東京五輪を行う事に最後までこだわったからだ。
考えてみるがいい。
コロナ危機が長期化することが明らかになった時点で、東京五輪の延期は不可避だった。
安倍首相が首相でなかったら、日本はもっとはやく延期をIOCに提案し、IOCも延期の結論を出したはずだ。
確かに直前の延期は残念だ。
はじめから東京五輪に反対する者たちにとっては歓迎すべき事かもしれないが、私を含め、楽しみにしていた多くの国民にとっては、残念だ。
張り切っていた選手も、受け入れ準備をしていた関係者も、経済効果を狙っていた人たちも、すべてにとって残念だ。
しかし、相手はコロナ危機だから延期は仕方がないと皆、思うに違いない。
だから、はやく延期を決め、延期日程を決めて、皆がそれに向かって新たに準備を始める、それだけの話で終わったのだ。
ところが安倍首相の場合はそうではなかった。
何があっても東京五輪を自らの手で成功させたかった。
そして、その後の政局の主導権を握ることしか頭になかった。
だからこそ、安倍首相はギリギリまで東京五輪延期を言い出さず、お金を出して東京五輪を主催してくれるありがたい安倍首相に忖度したバッハ会長も、あらゆる選択肢があるなどと、ごまかし続けた。
ところが、コロナ危機が世界規模に急拡大し、世界の批判の矛先が向かって来たバッハ会長が慌てた。
そして安倍首相に伝えた。
このままでは中止になるおそれがある。
それを避けるために主催国である日本が7月の東京五輪は無理だという意思表示をしてくれ、それを受けてIOCが決定する。
主催国が延期したいと言えばIOCは最終決定する、内部手続きに要する日にちは少しはかかるが、なるべくはやく決める、中止ではなく延期にする、それを二人の合意として、いますぐ発表した方がいい、と。
これがバッハ会長の考えであり、そして、それを安倍首相は飲んだ。
しかしひとつだけ注文をつけた。
延期幅は1年程度が限度だ。
だから「1年程度」の延長を合意の中に明示したいと。
こうして行われたのが安倍首相とバッハ会長の電話協議であり、発表された二人の合意だったのだ。
そしてこの合意の後に、あらゆる要素を勘案して延期後の日程を決定し、それをIOCから発表すればよかったのだ。
しかし、その直後に大きな誤算が生じた。
それはコロナ危機の東京直撃だ。
緊急非常事態宣言を出さざるを得なくなったら五輪どころではなくなる。その前に最終日程を決める必要が出て来た(3月31日読売)のだ。
そこで、バッハ会長と安倍首相との合意からわずか数日で、大慌てで1年延期が正式決定され、発表されたのだ。
その決定の背後には、組織としてのIOCの姿はない。
バッハ会長と森五輪組織委員長、小池東京都知事、そして何よりも安倍首相の姿だけである。
そして、安倍首相の頭には、春も秋もなかった。
春までにコロナ危機が終わるのは、いくら安倍首相でも無理とわかる。
終わらなければ再延長となり、それは中止と同じだ。
安倍首相は中止とともに引責辞任せざるを得ない。
だから春にしたいのはやまやまだが、それはない。
そして秋以降は政局が不透明になる。
政局が不透明になる前に東京五輪を成功裏に終わらせたい。
つまり来年の夏しかないのだ。
こうして、急きょ2021年7月23日開会という、丸1年の延期が最終的に決まったのだ。
しかし、1年延期しても、東京開催の実現は大きな賭けであることに変わりはない。
その時までにコロナ危機が収束する見通しはないからだ。
だからこそ、森喜朗会長は、最終決定がなされた昨日、「神頼みのところがある・・・」と言わざるをえなかったのだ(3月31日朝日)。
だからこそ、安倍首相はテドロスWHO事務局長に電話して、治療薬開発の為にWHOの協力を要請したのだ。
新薬の正式承認を早めてくれと言って。
日本の首相が安倍首相でなかったら、東京五輪の延期はここまで大騒ぎにはならなかった。
皆が納得する形で粛々と延期されたはずだ。
すべては安倍首相の東京五輪の私物化と政権延命のための大騒ぎであり迷走だったのだ。
安倍首相には一日も早く退陣してもらって、後任の首相の下で、仕切り直して準備を始めたほうが東京五輪のためである(了)
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