首里城の火災から3か月ほどがたった。
今ではすっかり安倍政権が主導してその復旧作業が進められている。
しかし、私は火災直後に書いた。
この復旧は、どんなに困難で時間がかかろうとも、沖縄人の手で行うべきだと。
もちろん巨額の復興予算は国から出させる。
ここまで基地の犠牲を強いられてきた沖縄だから、それぐらいの予算は政府に負担させても罰は当たらない。
だから予算をふくめたあらゆる便宜は政府の協力を得る一方で、首里城の復旧は沖縄人の手で、沖縄人の望む通りに行うべきだ。
そう私は書いた。
もし沖縄人が、沖縄はかつては独立国だった。
その象徴が首里城だというのなら、そうしなければいけない。
そうすることによって辺野古反対の意地を見せるのだ。
首里城の復旧を政府の手に委ねて借りを作ってしまえば、政府に頭があがらなくなって、辺野古移設すらますます政府ペースになってしまう。
私はそう書いてデニー玉城氏を応援したつもりだった。
しかし、その声は届かず、現実はどんどんと政府主導になり、いまでは政府が首里城復旧の主役になってしまったごとくだ。
沖縄はなにをやってるのか。
そう思っていたら、きょうの東京新聞で知念ウシというライターが「視点 沖縄から」で書いていたのを見つけた。
首里城火災という不幸が沖縄人を奮い立たせたと。
沖縄県庁やちゅら海水族館が燃えてもこうはならなかっただろうと。
首里城は、沖縄がかつて独立国であり、日本本土とは違う文化を示す象徴であり、基地問題に代表される、現在も続く抑圧に抗する心の支えだったと。
この知念ウシさんの寄稿に我が意を得た思いだ。
いまからでも遅くない。
沖縄は首里城の復旧のイニシアティブを取り戻すべきだ。
どんなに時間がかかっても沖縄人の手で首里城を沖縄人の好きなように再建するのだ。
このままでは、ますます沖縄は本土に同化され、本土の一部に過ぎなくなってしまう。
デニー玉城知事は、それでいいのか(了)
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