上院で1月16日から始まった弾劾裁判は、弾劾そのものについての判決を下す前に、ボルトン前大統領補佐官の証人喚問を認めるかどうかの採決が大問題になった。
そして上院の定数は100だ。
そのうち共和党は53議席を占める。
このうち4名が賛成に回ればボルトン喚問が実現する。
結果は造反は2名に留まり、ボルトン喚問は拒否された。
その結果、2月5日にも予定されている弾劾裁判の判決は無罪になる事が確実になった。
もちろん、政治の世界は一寸先は闇だ。
3年前、誰も予想しなかったトランプ候補が勝利したと同じように、誰も予想しなかったトランプ候補の再選が阻止されることもありうる。
しかし、やはり、これでトランプ大統領の再選は限りなく近づいたと私も思う。
きょう2月2日の朝日によると、弾劾裁判の判決は2月5日に行われるらしい。
そしてその判決日さえ、トランプ大統領の演出に使われるらしい。
すなわち、トランプ大統領の「一般教書演説(施政方針演説)」は2月5日に行われる事は決まっていた。
だからどうしてもその前に無罪判決が必要だったのだ。
しかも、「一般教書演説」を行う場は、かつてトランプ大統領を弾劾訴追した憎っくき下院だ。
その下院で、全米に、いや全世界に生中継される形で、堂々と自らの無罪を宣言し、あわせてきたるべき大統領選に向けた勝利宣言をする。
残念ながらそんな光景が目に見えるようだ。
歴史に「もし」はないが、もしボルトン氏の喚問が実現していたら、米国世論のトランプ大統領疑惑に対する批判は強まり、世論の批判が造反議員の数を4名以上に増やし、2月5日の弾劾裁判の判決でトランプ大統領が弾劾されていたかもしれないのだ。
そう考えた時、いかにボルトン喚問がトランプ大統領の政治生命に大きな意味を持っていたか、がわかる。
そう思うと残念でならない。
しかし、である。
ここからが、私が書きたいことだ。
もしボルトンが本気でトランプ大統領を倒すつもりなら、ボルトン喚問の実現は十分あり得たと私は思う。
米国のメディアがボルトンの「暴露本」を報じてから1月31日のボルトン喚問拒否の上院採決までの間に、ボルトンはトランプ大統領や、自分の喚問を認めない上院をメディアで批判出来たはずだ。
自分が「暴露本」で書いたことはすべて真実だ。
そのことを自分は上院で証言したい。
自分の喚問を拒否する共和党こそ、トランプ大統領の疑惑を認めているようなものだ。
そうボルトンがメディアで吼え続ければ、米国世論は変わる。
共和党議員は批判される。
造反議員は確実に4名以上になり、ボルトンは晴れて上院でトランプ大統領と対決できたはずだ。
しかし、不思議なことに、ボルトンは沈黙を通した。
すべては議会の決める事だといわんばかりだった。
「暴露本」の検閲すら、怒る気配はなかった。
いや、そもそも本気で暴露するつもりなら、事前に原稿をホワイトハウスに見せるはずがない。
ボルトンにははじめからトランプ大統領を倒す気はなかったと私は思っている。
トランプ大統領に罵倒されることが怖いのだ。
再選後のトランプ大統領に報復されることが怖いのだ。
「暴露本」の中身を骨抜きにされても、ここまで前評判がたったのだからベストセラーになることは確実だ。
金はもうかる。
それでいいのだ。
ひょっとして、トランプ大統領陣営とつるんだ芝居だったのではないか。
やはりトランプ大統領とボルトンでは役者が違うのである。
そう思えるほど腹立たしかったボルトン喚問の否決採決である(了)
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