2月2日に投開票日を迎える今度の京都市長選挙は、わたしにとっては、とっくの昔に結果は見えている。
共産党候補の勝利は確実なのだ。
なにしろ現職の門川市長の4選はさすがの京都市民もウンザリだ。
おまけに保守分裂で門川市長に行くはずの保守票の多くは村山候補に流れる。
こうなれば固定票を持つ共産党候補が強いに決まっている。
おまけにれいわ新選組の山本太郎が応援に入った。
国会では安倍首相の不真面目な答弁が繰り返されている。
ますます安倍自民党では駄目だと言う事になる。
立憲、国民民主、社民党が自公に相乗りした事も、門川市長にはマイナスだ。
どう考えても門川市長の勝ち目はない。
そう思っていたら、ついに自民党が禁じ手に出た。
共産党の市長でいいのか、と、究極のネガティブキャンペーンに出たのだ。
こんな卑劣な選挙運動はない。
負けが見えて来たゆえの禁じ手だ。
ところがである。
この禁じ手は起死回生の妙手になるかもしれないのだ。
わたしたちの京都に共産党市長でいいのか。
この問いかけこそ、共産党にとって最も厳しい共産党批判になる。
だからこそ共産党は共産党候補を名乗らないのだ。
共産党が敬遠される事を一番よく知っているのが共産党なのだ。
万が一共産党候補が敗れるような事になれば、この、共産党の市長で京都はいいのか、という卑劣なネガティブキャンペーンが奏功したというこになる。
果たして2月2日の投開票日に京都市民はどのような決断を下すのだろうか(了)
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