私は京都の耳塚の存在を知って、耳塚の下に眠る犠牲者の魂の正しい供養、鎮魂こそ、将来にわたる、不可逆的、かつ永続的な日韓友好関係の出発点になると思い込んだ。
思い込んだら止まらないのが私の悪いところだ。
私は、もはや選挙によって新党憲法9条をつくるよりも、行動でその正しさを証明したほうが近道だと思い、耳塚プロジェクトなるものを進めることを決めた。
そういう事もあって、昨年の暮れから私は京都に滞在する日が増えたが、そんな時、偶然に一人の京都の財界人と出くわして、その財界人から次のような危惧を聞かされた。
すなわちあと一カ月後に迫った2月2日の京都市長選挙に現職の門川大作市長が自公と立憲、国民などの相乗りで立候補しているが負けると。
なぜなら、いちはやく立候補宣言した地域政党出身の京都市議村山祥栄氏が門川氏の票を奪うからだと。
そして共産党候補の福山和人元京都弁護士会副会長が漁夫の利を得るからだと。
ただでさえ負けるのに、おまけにれいわ新選組がついた(筆者註:その後れいわ新選組は共産党候補支持を正式に宣言した)。
これでは勝てるはずがない。
ところが門川陣営にはまるで危機感がなく、村山氏に至っては、今度こそ勝つ、と張り切っている。
京都はとんでもない事になるというのだ。
私はこの話を耳にするまでは、京都の市長選など、まるで関心はなかった。
しかし、この話を聞いて直感的に思った。
2月2日の京都市長選の結果が日本の政治に激震を走らせることになると。
その理由はこうだ。
共産党とれいわ新選組の勝利は確かに金星となる。
そしてそれがそのまま野党共闘につながれば政権交代の可能性も出てくる。
しかし、そうはならないのだ。
ひとつには野党が分裂するおそれが出て来る。
その一方で、与党は安倍では総選挙に勝てないとなり、一気にポスト安倍に走る。
そして、次の総選挙までに、勝てる代表を選んで引き締める。
かくて日本の政治は政局に明け暮れ、その政局は更なる混乱必至となる。
しかもその混乱は、みずからも認めるポピュリスト山本太郎の過激な言動で、日本国民を分断する危険性をもたらす。
私がその財界人の言葉で印象的だったのは、彼が次のように語ったところだ。
共産党候補が勝てば、むこう4年間は京都は停滞する。
そして、今度の市長選が終った後からすぐに4年後の市長選が始まり、こんなはずではなかったと再び保守が市政を取り戻す。
まったく無駄な4年間が費やされることになる、と。
この財界人の言葉は、そっくりそのまま国政にも当てはまるのだ。
国政は与野党の分裂含みで次の総選挙に向けて大混乱が始まる。
そしてどの政党が連立政権をとっても、政権を取れない政党は必ず政権打倒を叫ぶ。
これまでの日本なら笑って済ませたかもしれない。
しかし、いまの日本の内外の厳しい情勢は、そんな政治家たちの政局を許す余裕はまったくないのだ。
重要な事は、分裂、対立ではなく、政治が国民と一体となって、どうすれば国民生活を守ることができるのか、平和な日本を維持できるのか、それを見つけ、実現することなのである。
果たして、それを言い出し、そして国民を率いていくす政党、政治家が出て来るだろうか。
これほど重要な意味を持つ京都の市長選挙であるというのに、そしてその選挙が一か月後に迫っているというのに、メディアは全く報じない。
この私のメルマガを読んで書き出すメディアが出て来る事を期待するばかりだ(了)
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