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大学入試制度の混乱の茶番と文部省の大きな責任

 英語試験の民間委託から始まった大学入試制度の混乱は、大学入試制度そのものの問題にまで発展し、そして挙句の果てに、問題の根深さが露呈して、何の解決のめどもたたないまま終わることになりそうだ。

 なぜこんなバカげた騒動になったのか。

 それは、学歴主義からくる悪しき受験制度の根本問題に触れる事無く、大学入試制度の不備が政局の具にされたからだ。

 何度も書いて来たとおり、私は受験制度そのものに反対である。

 しかし、学歴主義が国民の意識からなくならない限り受験制度をなくすことは出来ない。

 本来ならば、誰でも好きな大学に入学できる代わりに、卒業試験を難しくして、毎年卒業できる学生を定員数に限定すれば、その大学の能力に満たない者はいつまでも卒業できなくなって、おのずから入学希望者が限定されていく。

 そういう制度にすればいいのだろうが、現実はそうもいかない。

 だから大学入試制度は必要悪であり続ける。

 それならば、入試試験はかつてのように、大学の自主に任せておけばよかったのだ。

 実際のところ私が受験したころはそうだった。

 自分の入りたい大学の過去の試験をしらべて対策を練ったものだ。

 入試制度の不備も、その運用・管理も、すべて大学の自主、自己責任に任せればいいのだ。

 それでも入りたい受験生は納得ずくで受験する。

 それが本来の姿だろう。

 とろこが、いつの間にか、大学共通一次試験制度なるものが導入され、それがいつの間にか大学入試センター試験に変わり、そして再び大学入学共通テストだという。

 とんでもない迷走だ。

 その間に、偏差値という差別用語が当たり前のように語られるようになった。

 この迷走の原因は文部官僚にこそあると私は思っている。

 かつて文部官僚と仕事上でやりあった外務官僚の経験から、私はそう独断している。

 思いつきでゆとり教育が導入され、それが教育のレベルを落としたとして批判されてもとにもどったことがあった。

 学歴主義とその結果としての受験制度に手を付けないで、ゆとり教育を導入したところでうまくいくはずがないのに、この迷走だ。

 今度の大学入試制度改革をめぐる迷走を報じるメディアの報道姿勢は政治部が主導しているから安倍政権批判がらみの報道ばかりだ。

 しかし、その急先鋒である朝日や毎日は、それぞれの週刊誌で、毎年春の恒例行事のよいうに大学入試の特集記事を組んで受験競争を煽り、売り上げ増を狙っている。

 自己矛盾も甚だしい。

 大学入試制度改革に関する今度の迷走に関してはメディアの責任もまた大きい(了)

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