三島由紀夫が自衛隊に乗り込んで割腹自殺したのは1970年11月だった。
当時私は外務省に入って米国の大学で研修をはじめたばかりだった。
衝撃は受けたがその訴えは当時の私には響かなかった。
いまなら理解できる。
理解できるが、その間違いをはっきりと指摘できる。
1月27日の毎日新聞の書評欄で「三島由紀夫と天皇」(菅孝行著 平凡社新書)という新著について渡辺保氏が書評を書いていたのを見つけた。
書評の中で渡辺氏は著者の意図をこう語っている。
三島由紀夫の戯曲「サド侯爵夫人」の中のルネ夫人は、三島由紀夫そのものであると。
一度は脱獄さえも手伝って夫のサド侯爵に寄り添ったルネ夫人が、フランス革命が起きて王室の滅亡とともに釈放されたサド侯爵の変わり果てた姿を見て、会おうともしなかった。
三島にとってサド侯爵こそ昭和天皇だったというのだ。
本来は神性を持っていた天皇が敗戦後の人間宣言によってその神性を失った。
ルネの至福の根拠がアルフォンス(サド侯爵)なら、喪失の根拠もまたアルフォンスなのだ。
そしてそれはそのまま、三島の至福の根拠が天皇なら、喪失の根拠も天皇なのである。
この事を、渡辺保氏は書評の中でこう説明してくれている。
「・・・日本に対する占領政策として天皇制を利用したアメリカ。そのために妥協して人間宣言をした天皇、さらにそれらを政治的に利用してアメリカに盲従し、そのことによって『戦後民主主義』という幻想を国民に抱かせ続けた保守政権。その構図は今日まで続いてきた。その虚妄のからくりがここに(三島由紀夫と天皇)に分析されている。この分析こそ60年安保、70年安保の国民運動の中に生き続けてきた著者(菅孝行)にとって、もっとも大きな問題である・・・」と。
三島由紀夫が提起した問題は、そから半世紀近くたって、ますます深刻な問題落として日本を覆っている。
しかし、もし三島が今も生きていれば、考えは変わらざるを得ないだろう。
天皇は昭和天皇から平成天皇に代った。
神聖天皇から脱却できなかった昭和天皇と違って、即位の時から象徴天皇として出発し、昭和天皇の負の遺産を清算する事に全力を注いで国民の共感と支持をた平成天皇の時代となった。
もし三島が生きて、いまあるなら、対米従属の昭和天皇に喪失感を抱いて「極限的な孤独感」で割腹自殺する暇などないはずだ。
平成天皇の苦悩に思いを致し、憲法9条を掲げ、命がけでて対米自立の先頭に立たなければ嘘だ。
それこそが本物の愛国、保守である。
安倍政権の対極にあるものである(了)
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