新党憲法9条

憲法9条それは希望

政権交代がすべてではない

 これも小説家の言葉だ。

 きょう12月27日の読売新聞に、小説家の真山仁(56)氏が政権
交代についてこう語っているのを見つけた。

 「『あったらいいですか』と聞かれれば『はい』と答えている。そこ
に『以前の民主党政権のようなものではだめ』という但し書きがつく・
・・政権与党が緊張感を持つような野党があれば政権交代してもいい。
それが難しいなら自民党の中で政権交代があっていい・・・」

 まさしく私の考えだ。

 それでは、「緊張感を持つような野党」とは何か。

 真山氏はそれについて何も語っていない。

 おそらく、いつでも自民党にとって代われるだけの多数を要した野党の
ことだと思う。

 そのような野党が存在すれば、自民党もまたいつなんどき選挙で負けて
取って代われるかもしれないという緊張感を持つだろう、その緊張感が自
民党の暴走を止められる、と言いたいのだろう。

 しかし、問題は、そのような野党が出来たとして、そして、仮に再び政
権与党になったとして、自民党とどこが違うかという問題に、必ず行き当
たる。

 もし、その野党が、外交・安保政策では自民党とお同じように日米安保
体制を容認するが、経済や福祉政策で自民党との違いを見せるだけの野党
なら、決して緊張感は生まれない。

 なぜなら、もはやむき出しの資本主義などありえず、いかなる政権も社
会民主主義的な政策を取り入れざるを得ないからだ。

 政権を取り、維持するためには、弱者に配慮する政策を取らざるを得ない
からである。

 安倍・菅暴政コンビでさえ、そうせざるを得ないではないか。

 やはり、一番緊張感をもたらすテーマは外交・安保政策であり、対中国、
南北朝鮮外交をめぐる歴史認識問題だ。

 そして、この点については、いまだ国民の多数は日米安保体制を重視し、
中国や南北朝鮮との関係を二の次にしている。

 だから、国民の意識が今のままでは、そうでない外交・安保政策を唱える
政党が政権を取ることなど出来ないし、たとえとっても維持できないのだ。

 だから、新党憲法9条なるものが実現したとしても、それが直ちに政権
を取れる政党になることはあり得ない。

 それを知っているからこそ、新党憲法9条ははじめから政権を取る事を
目指さない。

 ひたすら憲法9条の重要性を訴えて、憲法9条こそ日本の国是とすべきだ

と国民に訴える政党でいいのだ。

 しかし、いずれ国民はその事に気づくだろう。

 その時こそ、新党憲法9条が緊張感を持った野党として登場する時だ。

 自民党に代わって政権交代をできる野党になるときだ。

 単独で政権を取るまでにはならなくても連立政権の一角を尾占めることで
十分なのだ。

 そして、もし国民の大勢が、それでも日米安保を優先するというのなら、
新党憲法9条は政権政党にはなりえない。

 しかし、その時、野党のままで十分その役割を果たせる。

 自民党政権の間違った外交・安保政策の監視役として立派に国民の期待に
応える事の出来る政党として存在感を示す事が出来る。

 今の野党共闘の最大の問題は、その覚悟がないことだ。

 政権交代を望むあまり、もっとも重要な外交・安保政策において、違いを
封印して打倒安倍だけで野合する。

 これでは、真の政権交代はあり得ず、あっても再び行き詰まるだろう。

 真山仁氏のいうように、自民党の派閥交代でいいと言う事になる。

 もっとも、その自民党も、かつての宏池会のごときものがなくなり、安倍一強
になってしまった。

 まさしく、どうしようもなくなった日本の政治であるということである(了)

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