これまで届いた支持のメールは30通ぐらいです。その数は爆発的というほどのものではありませんが、いずれも熱い思いがこもったものばかりです。
その中に「泣けてくる」という言葉、と「やむにやまれず」という言葉がいくつかありました。その二つの言葉こそ、新党憲法9条のキーワードだと思っています。
なぜ泣けるのか。私もそれらのメールを読みながら思わず涙しました。しかしその理由はわかりません。このあいだ、「君の名は」という映画を見て、私は泣きました。映画の筋は正直言ってよくわからなかったのですが、いつしか泣いていました。なぜ泣いたかはわかりませんが、何かに感動したのです。この、「涙を流して感動」できる事が私は生きていくうえで重要だと思うのです。
もうひとつは、長い人生には(長くなくてもいいのですが)誰にも、やむにやまれない事情で人生が大きく変わることがあります。私もあのイラク戦争がなければ、そしてその時レバノンに勤務して、パレスチナ人の悲しみを知らなければ、そしてあの時日本の首相が小泉さんでなかったら、あのような行動を取らずに済んだのかも知れなかったと、今でも思う事があります。そして政治にかかわることもなく、ましてや新党憲法9条を立ち上げることはなかったと思います。
しかしやむにやまれずそうなってしまった。人はやむにやまれない事情で違う人生を歩み、こんなはずではなかったと考える時が必ずあるはずです。その時、それでも、それも自分の人生だと覚悟して、やむにやまれない人生を懸命に生きる、決して自分の人生は間違いではない、そう思って生きる、それが重要だと思います。そしてそのような生き方を応援してくれるのが憲法9条です。
正しいことほど強いものはない。これは憲法9条が出来た時に、文部省が作成した「あたらしい憲法9条のはなし」という冊子に出てくる言葉です。私はそれを知った時から、これを自らを励ます言葉にしています。新党憲法9条は、そのような人たちに勇気を与える政党を目指します。
私の目指す政治は正しく生きる人が必ず報われる世の中の実現です。やがて公表する候補者も、正しい事の為にやむにやまれず人生を犠牲にした人たちです。私は政治とは、政策論を戦わすことではなく(それはもちろん必要な事ですが、そんなことは私から言わせれば政治を行う最低条件です)、人に正しい生き方の指針を与えるものだと思っています。人生、やむにやまれず正しい人生を送ろうと頑張った時、理由もなく涙が流れる、私はそう思う事にしています(了)
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