発売中のサンデ―毎日最新号(8月20日―27日号)にノンフィクション作家・保阪正康氏の「今上天皇と太平洋戦争」という記事がある。
これは国民必読の記事だ。
なぜ私がその記事を国民必読であると考えるか。
その理由はひとことでは言い尽くせないので、その記事のすべてを読んでもらうしかない。
しかし、次の一つを紹介するだけでも、その記事が国民必読であることがわかると思う。
すなわち、昭和天皇は敗戦直後の1945年9月9日に、日光に疎開中の皇太子(今上天皇)に書簡を送っていたという。
そこには次のように書かれていたという。
「・・・(戦争の)敗因について一言いわしてくれ。我が国人(くにびと)があまりに皇国を信じ過ぎて英米をあなどったことである。我が軍人は精神に重きを置きすぎて科学を忘れたことである。明治天皇の時には山県、大山、山本等の如き陸海軍の名将があったが、今度の時はあたかも第一次世界大戦の独国のごとく、軍人がバッコして大局を考えず進むを知って退くことを知らなかったからです。戦争を続ければ三種の神器を守る事も出来ず国民をも殺さなければならなくなったので、涙をのんで国民の種をのこすべくつとめたのである・・・」
驚くべき内容である。
しかもこの書簡は昭和60年代に入って初めて公開されたという。
政府や学者による公開ではなく、皇太子のご学友であった人物によって公開されたという。
これらの事実を知っている日本国民はどれほどいるのだろう。
これほどの重要なことを、なぜ保阪正康というひとりの作家が、サンデー毎日のような週刊誌に書かなければ、我々は知る事が出来ないのか。
もっと驚くべきことは保阪氏がその記事の中でこう書いている事である。
「天皇という存在は、たとえどの天皇であれ、皇位に就いている時の『目的』はたったひとつである。・・・『皇統を守る』ということが最大の目的なのである・・・」
そういう事でいいのだろうか。
この保阪氏の記事を読んだ時、私はあらためて自分の持論の正しさを再認識した。
すなわち戦後の日本は、象徴天皇制、憲法9条、そして日米安保条約という、いわば三位一体の国家体制で出発した。
しかし、それらが矛盾しているからこそ日本は苦しみ続けて来た。
いまこそその矛盾を我々の手で解消し、憲法9条を国家の最上位に置く時だと。
新党憲法9条はそれを実現しようとする政党である(了)
今上天皇が象徴として願っておられ、国民に寄せておられる「平和を願うお心」は並大抵ではなく、既に平和憲法の象徴でいらっしゃるとお見受けしており、平和を願われる象徴の範疇には、上位下位のお立場の位置づけはあり得ないように思います。
皇統の継続を念じられるのは当然のことでしょうが、それが目的ではなく、それよりも、国民の幸せ継続を願われることが目的であり、国民があってこそ象徴としての皇統が続けられるとお考えのようにお見受けしております。
天木さんの言われている事は、限りなく危ない事ではないですか。戦前ではありませんが、東大憲法学者だった美濃部達吉の「天皇機関説」に通底する考え方とも解釈されますぞ。しかし、日本の歴史上、天皇の政治利用は何度も繰り返されて来たのも事実です。護憲を叫ぶ天木さんなら、天皇の政治利用は御法度である事はお分かりですよね。2・26事件においても、北一輝の思想に感化された皇道派青年将校が、天皇大権の統帥権を後光として決起を目論み、老猾統制派により派閥潰しの憂き目にあった。これら一連の出来事において、それぞれの権力闘争に天皇の政治利用がなされてしまっている。そうした「玉」を蔑ろにする俗物には、最終的に「天誅」が下されます。それを畏怖する余り、本来自由なる筈の言論・表現の自主規制がなされる事が問題です。昨今、灘中の和田校長による「学び舎」出版教科書採択を巡り右傾政治団体の嫌がらせが、世間の注目を浴びている様です。私の言いたい事は、天皇を軽々しく政争の具にしてしまう事は、それこそ、憲法違反となるという認識です。従って、天皇を憲法九条などの下位に位置付けたりするのは、正しく米帝の思惑により創られた不純条項を担ぐ事になり、由々しき問題になりますよ。