天皇陛下が安倍首相に辞任を迫る事になるのかもしれない。
こう書けば読者は仰天するに違いない。
もちろん政治に関与できない天皇陛下にそのような事が出来るはずはなく、たとえ出来たとしても、天皇陛下はそのような事をされるはずがない。
しかし、ひょっとしたら、そういう事になるのかもしれない。
私はきょうの読売新聞を読んでそう思った。
きょう8月8日は、あの天皇のお言葉から丸一年経った日だ。
その事もあり、今日の各紙はいずれも天皇退位の特集記事を掲載している。
そこに書かれていることは、今年の6月9日に退位特例法が成立したことにより、このままいけば来年すなわち2018年の末に天皇陛下の退位と皇太子の即位が行われ、2019年1月1日に改元する事になるという事だ。
宮内庁からは皇室行事が集中する年末年始を避けるほうが望ましいと言う声があり、2019年3月末に退位、4月1日より改元とする案も出ているという。
いずれにしても、遅くとも2019年の4月からは元号が改まる。
これが各紙の報ずるところだ。
そして、その日程が発表されるのは2018年の夏ごろと見られていたが、前倒しして、今年中にも決まるという。
朝日に至っては、「早ければ今年の9月中にも決まる」と断定的に書いている。
ところが、読売新聞だけは、そのような見通しを述べた上で、次のように書いている。
「政府は新元号の公表時期について、早ければ2018年夏を想定してていた。だが、ここにきて、政府内には『次の自民党総裁・首相が決まってからでよい』(内閣官房関係者)として、2018年総裁選後にすべきだとの声も出ている。東京都議選での自民党の歴史的惨敗や内閣支持率の急落で、安倍首相(党総裁)の連続3選が不透明になったことが背景にある・・・」
これは注目すべき記事だ。
実際のところ、安倍首相の首相としての存続は、急激に不透明になってきた。
どの世論調査も、そしてどの報道も、もはや安倍政権の支持率は回復せず、その最大の原因は安倍首相が首相であるからだといわんばかりだ。
中には、自民党に代わる政権はあり得ないのだから、自民党は安倍首相を降ろせばいいだけなのだ。たちまち支持率が回復すると言う者まで出るありさまだ。
こうなると、もはや安倍首相の退陣は時間の問題となってくる。
ひょっとして天皇陛下の退位より、安倍首相の辞職の方が先になるかもしれない。
そうなれば、天皇陛下も安心して退位できるだろう。
なにしろ、安倍首相にかわる如何なる首相も、憲法9条改憲を封印する事は間違いないからだ。
そして、11月に予定されているトランプ大統領の訪日も延期され、天皇がトランプ大統領を謁見する必要もなくなる。
こうなったのも、すべては森友・加計疑惑による安倍首相のオウンゴールだ。
そこには天皇陛下の意志はどこにもない。
しかし、見えざる何かが安倍首相の権力の私物化を明るみにし、そしてそれを知った国民の怒りが安倍首相を辞任に追い込む事になったのだ。
結果としてそれが天皇陛下を安堵させる事になる。
天皇陛下が安倍首相に辞任を迫ったと私が書く理由がここにある(了)
恐れ多くも畏くも『天皇陛下』を、俗物の長「安倍晋三」潰し如きに政治利用するような愚策には、天木さんと言えども全く賛同できません。天木さんの天皇陛下に対する思いは、下手をすると、安倍官邸への宦官的官僚どもの「忖度」と、同格に見倣されてしまいますよ、御注意あれ。
「受け皿」新党の名は「日本ファースト」ではなく「国民ファースト」!
GFPでノーベル賞 (2008年) をもらった下村脩さんの (戦災に関する) 興味深い体
験談が残っている。父親は軍人で、大阪から満州に出征する直前、家族に(B29の
空襲を避けるために)、長崎の親戚 (祖父) の家に疎開するように、忠告したそう
だ。
おかげで、家族は大阪の大空襲を避けることはできたが、8月9日に、長崎に2番目
の原爆が落された。幸い、祖父の家は爆心の外にあったので、被曝を避けること
ができた。下村さんがノーベル受賞講演を「もし、私が爆心にいたら、GFPの発見
はなかっただろうし、その発見に基づく、二人のアメリカ人科学者の受賞もなかっ
ただろう」と言う言葉で 結んだのを聞いて、大統領に当選したばかりのオバマ氏
は、翌年にベルリンの聴衆に向かって「核のない世界」を提唱して、ノーベル平
和賞をもらった。 そして、オバマ氏は任期満了直前に、とうとう広島を訪れた。
「ノーベル賞の連鎖反応」と呼ばれている現象である。「米国ファースト」主義
のトランプ大統領は、一体広島や長崎を訪れるだろうか?
さて、最近、変な噂を耳にした。 「日本ファーストの会」がまもなく発足するそ
うだ。「都民ファーストの会」に由来し、国政へ進出を狙っているそうである。
私ははたと耳を疑った。その昔 (1973年まで) 、私がまだ都内に住んでいた頃、
総選挙の季節になる度に、軍艦マーチをうるさく鳴らしながら、赤尾敏を党首と
する「日本愛国党」の宣伝カーが町筋を走り過ぎたものである。 「日本ファース
ト」という言葉を聞いて、不思議に赤尾敏氏の宣伝カーを連想した。
私の持論であるが、国政の受け皿は「国民ファースト」でなければならない!
これは「都民ファースト」から進化した「国家よりも国民をファースト」である
べきだからだ。「都民ファースト」は、「都議のドン」ファーストから脱皮をめ
ざして、大成功した新党だった。 次は、「国会のドン」(自民党あるいは安倍政
権) から脱皮をめざす運動でなくてはならない。「日本 (国家) ファースト」で
は、国民の受け皿には、とてもなり得ない! 微妙な言葉 (ニュアンス) の違い
ではあるが、その違いをハッキリ認識できないと、再び、「お国のために」戦争
を始めることになりかねない!