どうやらボルトンの暴露本は突っ込みどころ満載のようだ。
なにしろトランプ政権の仲間たちが、一斉に事実に反するとボルトンを攻撃し始めた。
俺たちもその場にいたから知っていると。
ボルトンはデタラメばかりだと。
もちろん、この暴露本はデタラメばかりではない。
すべてが真実でないにしても、真実が含まれているからこそ国家機密漏えい罪に問われる可能性があると連邦地裁が判じたのだ。
トランプ政権が如何に動揺しているかの証拠である。
そして、その動揺は安倍政権の動揺でもある。
なにしろ、これまでの対米外交が嘘だらけであることが明らかにされるからだ。
ウソつき安倍は、もはや多くの国民が気づいていることだが、トランプ大統領の側近からバラされたら動かぬ証拠になる。
安倍政権退陣の更なる引き金になりかねない暴露本なのだ。
私はかつて「アマル それは希望」という近未来短編小説集の中の一つ「ハングリーボーイズ」で、米国発の極秘情報の暴露が日本の政治を揺るがし、日本の政治が世論の怒りで正される、というつくり話しを書いた。
その時のモデルはウィキリークスだった。
その時私が書いたのは、日本人は英語に弱いから、誰かがその情報のすべてを日本語に訳して教えてやらないと国民は気づかないということだ。
そして、単にその情報をそのまま訳して流すのではなく、その情報の持つ意味を正しく解説して国民に教えてやらないと、国民は気づかないまま終わってしまうと書いた。
まさにこのボルトンの暴露本もそうだ。
そこに指摘されている日本に関係する部分をすべて翻訳し、そしてその一つ一つについて、当時日本で安倍政権が語ったり、メディアが報じたことと比較し、その時のウソがその後の政治にどれほど深刻な影響を与えたか、その事を正しく、わかりやすく解説してこそ、ボルトンの暴露本が活かされるのだ。
果たしてボルトンの暴露本は日本の政治にどこまで影響を与えることになるのか。
結論から言えば、あのウィキリークスの時のように、まったく活かされないまま終わるだろう。
サラリーマン化したいまのメディアでは、そこまでこの暴露本を活用しきれないと思うからだ。
前置きが長くなったが、私がこのメルマガで言いたい事は、この暴露本についてのコメントを記者から聞かれた時の菅官房長官と河野防衛相の対応の違いである。
菅官房長官は、「書かれている事の一つ一つに日本政府が答える立場にはない」、というものだった。
無難で的確なコメントだ。
こう言っておけば、暴露本の中身を知っているか、知っていてもどこまで知っているか、何もわからないまま、煙に巻くことができる。
そして、他国の政府高官が他国の大統領の言動について書いたものであるから、コメントする立場にない、というのはその通りなのだ。
いつもながら、菅官房長官は逃げるのがうまい。
7年半も安倍政権を支えて来ただけの事はある。
その一方で河野太郎防衛相の答えぶりは失態ものだ。
何と答えたかといえば、この暴露本を取りよせて読んでみたいと思ったけれど売り切れていて手に入らなかったと答えたのだ。
これは自ら恥をさらしたようなものだ。
ひとつは、まだ読んでいないということを自ら白状したわけだ。
それだけで失格である。
そして、もっと驚く失態は、売り切れで手に入らないと言ったところだ。
すでにボルトンの暴露本についてはトランプの外交・安保政策を批判する本であることはだいぶ前から報道されていた。
そして日本の事にも言及されているだろうことは容易に想像できたはずだ。
しかもその内容のいくつかは事前に米国メディアが流していた。
だから日本の米国大使館を使って事前にその内容を入手できたし、暴露本すら事前に入手できたはずだ。
それを官僚たちに読ませて、模範答弁をすることが出来たはずだし、そうしなければいけなかった。
それをしていなかったことを自ら認めたわけだ。
あり得ない怠慢だ。
私の官僚時代の経験から言えば、この種の情報暴露が噂されたら、官僚たちは間違いなく事前に入手して、善後策を講じたはずだ。
もし河野外相が本当に暴露本を入手していなかったとすれば大臣失格だ。
もし、コメントを避けるために、読んでいたのにまだ読んでいないと嘘をついたとすれば、それはそれで大臣失格だ。
菅官房長官と比較すれば政治家としての器量が小さ過ぎる。
イージス断念で株を上げてポスト安倍に急浮上して来たと言われる河野防衛相だが、私にしてみれば防衛相すら失格である(了)
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