私は、これからの日本は、日米安保条約を破棄し、そのかわりに、憲法9条を日本の外交・安全保障政策の最強の切り札として、世界のすべての国と共存・共栄を目指すべきだと訴えて来た。
そしてその訴えの正しさは、世界が歴史に逆行して軍事力強化に走り、世界の警察であるべき米国が米国ファーストを唱えるトランプ大統領の出現でその役割を放棄し、新自由主義の行きつく先としての極端な貧富の格差が世界規模で広がり、その結果としてのポピュリズムが蔓延している中で、ますます、証明されつつあると思っている。
言いかえれば、憲法9条主義は、民主主義が産み落とした鬼っ子であるポピュリズムに待ったをかける、究極の平和主義なのである。
と、まあ、こんな屁理屈を並べるまでもなく、単純に、日米安保条約は日本の将来にとって破棄さるべきだと、私は思う。
しかし、日米安保反対と言えば、かつての日米安保反対論者さえついて来ないほど、今の日本では通用しなくなってしまったごとくだ。
そのかわり、日米地位協定改定を皆が言い出すようになってきた。
私はそれでいいと思っている。
なぜなら、日米地位協定の改定交渉にいったん手を付けたら、日米安保条約の廃棄に行き着かざるを得なくなるからである。
だから私は日米安保反対と言わず、日米地位協定改正を叫ぶ人たちを応援し、日米地位協定改正を訴えて来た。
ところが、掛け声ばかりが目立って、日米地位協定交渉は一向に始まる気配はない。
それどころか、その掛け声さえマンネリ化し、はやく交渉を始めよと言う声は出て来ない。
そう思っていたところ、発売中のサンデー毎日(2月9日増大号)で田原総一朗が倉重篤郎・毎日新聞専門編集委員を相手にこう述べていたのを見つけた。
私は安倍首相とよく会って、今やるべきは改憲ではなく日米地位協定の改正だと言っているんですよと。
安倍首相はその都度、分かっていますと答えるけれど、一向にそうしようとしないと。
私が注目したのは、その後に続く田原総一朗の次の言葉だ。
つまり田原総一朗はこう語っている。
外務省幹部がわたしのところへきて、米国がうんといわないのですと。
驚くべき暴露発言だ。
もし田原総一朗の言っている事が本当なら、日米地位協定の改正は出来ないことになる。
アメリカが認めなければ何も出来なくなるのだ。
しかし、よくも田原総一朗はこんな重大な事をバラシタものだ。
よくもサンデー毎日は、こんな重大な暴露を載せたものだ。
倉重記者は、こんな重大な田原総一朗の暴露発言を聞き流したものだ。
だったら、田原も倉重も、その外務省幹部の名前をばらし、国会に招致して、米国の誰が、どういう機会にそう言ったのか、そして米国がダメだと言ったから日米地位協定改定はできないのか、国民の前で明らかにせよと、野党の尻をたたいて安倍首相に迫るべきではないのか。
そう書いて来た、私は気づいた。
これはいつもの田原総一朗の手口だと。
すべてをばらして、その時は皆を驚かす。
しかし、出来ないものは出来ないと、そのうち皆をあきらめさせる。
安倍首相を批判するふりをして、実際は安倍首相を助けているのだ。
御用評論家と並んで、こういうガス抜き評論家や、にわか辛口評論家が、最近やたら増えて来たような気がする。
いやメディアに出る評論家はそんな連中ばかりになってきた。
勝ち組ばかりがメディアに登場する、そんな世の中になって来たのである。
これでは政治は変わらないはずである(了)
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