きのうの、三度にわたる応援演説をもって、私の今回の立川市議会議員選挙の応援は終わった。
その模様は、私のユーチューブ動画サイトで報告した通りだ。
果たして今日の夜、私が応援した伊藤ともゆき候補者は当選するだろうか。
そのことについて書いてみたい。
結論から言えば、まったく予想がつかないということだ。
それどころか、私が現地に足を運んで感じた事は、まるで票が集まらないのではないかという大いなる危惧と不安だ。
私は知ったのだが、市議会議員選挙は(おそらくほかの地方選挙もみなそういうことなのだろうが)、選挙が告示された時点で(つまり選挙が始まった時点で)ビラ配りが許されない事になっているという。
これでは、選挙が始まるまでが勝負だ。
選挙が始まったら、訴えは街頭演説しかない。
ところが、この街頭演説は、現役候補や、既存の政党、政治家の応援を得た、組織選挙の出来る候補者が圧倒的に有利だ。
私が見るところによれば伊藤ともゆき候補はそれがなかった。
事務所も、宣伝カーも、のぼりや、いわゆる選挙用のマイクもなく、街頭演説を手伝う人も、実母と奥さんの二人だけだった。
私が昨年10月の衆院選で同じ立川駅前で演説した時もそうだったが、それよりもはるかに孤立無援のごとき印象を持った。
そして応援演説も、私以外の応援演説はなかったようだ。
その一方で、既存政党、政治家の公認や推薦を受けた候補者は、宣伝カーや大きなマイクをたくさん駆使して、選挙運動になれた人員を動員して、選挙演説をやっていた。
最終日の昨日16日は立憲民主党の枝野代表が来て演説をしていたが、その模様はまるで国政選挙並みだ。
まさしく市議会議員の数が国政に直結しているのだ。
おなじように無所属候補を名乗る候補者は多くいたが、それでもポスターをよく見れば、既存政党、政治家や近隣の現役市会議員らの応援を得て組織選挙をしている者がほとんどだ。
さすがの私も、伊藤ともゆき議員が当選できるとしたら奇跡ではないかと思ったほどだ。
しかし、だからこそ、私は応援を引き受けてよかったと思っている。
既存の政党、政治家の支援を受けて政治家を目指すような候補者には私の応援演説など要らない。
それどころか邪魔になる。
しかし、伊藤ともゆき候補は、昨年10月の私の立川駅前の選挙演説に心を震わせて共鳴して今度の選挙に立候補したという。
その言葉に偽りがなければ、彼こそ本当の意味で私の同志第一号だ。
彼は私であり私は彼だ。
そして、彼に一票を投じてくれる立川市の有権者は、私たちであり、私たちは彼らなのである。
およそ政治などの関わるはずのなかった者たちが、やむにやまれず既存の政治の大きな壁に挑戦する。
もし当選する事ができたなら、それは奇跡にも似た快挙だ。
そこから民主革命が起こるのである。
私は、きょう、伊藤ともゆき候補とともに奇跡を起こしてみたい。
そう、祈る気持ちで、選挙結果を待つ。
すがすがしい気持ちで一杯だ(了)
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