きのう8月25日の定例記者会見で、小池百合子東京都知事が関東大震災の朝鮮人犠牲者への追悼文取りやめについて答えたらしい。
それを報じるきょうの各紙を見て、私の中では小池新党に対する期待は完全に終わった。
彼女の歴史認識は安倍首相のそれと基本的に同じだ。
それは知っていた。
しかし、それを棚上げして安倍首相との違いを打ち出せるのか。
それが私の関心事だった。
どうやら小池百合子は自らの本性を隠せなかったようだ。
昨年追悼文を送ったのは、私の知らないうちに慣例を踏襲して行われた。
だから今年は私の判断で送らない事にした。
そこまではっきり述べた上で、特別な形の追悼文は送らない、それが私の判断だと言ったのだ。
正しい歴史認識を小池氏が持ってれば、こういう発言は出て来ない。
そして、それを隠そうともしなかった。
日本と朝鮮半島には歴史的に特別な関係があった事は否定できない事実だ。
だからこそ、その歴史的な関係が両国の国民の間で将来にわたってわだかまりがなくなるまで、特別な配慮が必要なのである。
それは、好き嫌いの問題ではない。
日本の政治家として必要な最低限度の外交的配慮である。
おりから若狭議員が松沢、長島議員と会談し、年内に設立する新党が憲法改正を目指す事を明らかにしたという。
安倍首相の安保法に自民党議員で棄権したのは村上誠一郎と私の二人だけだと言って、憲法9条を諳んじて見せた若狭議員の姿はそこにはない。
憲法9条改憲と歴史認識において安倍自民党と違わない小池新党なら、その存在意義はない。
私の中では小池新党への期待は、その姿を見せないうちに終わった。
左翼でない一般国民の政党が、憲法9条と正しい歴史認識の二大重要テーマについて正しいことを訴える。
それが新党憲法9条である。
新党憲法9条の存在意義がますます輝くことになる(了)
天木さんの仰ってることが、理解できる程、レベルの高い民度を持ち得ない国民です。そんなこくみんには、反安倍とか、反自公政権とかという、卑近な対抗馬としての象徴として、イメージ的に一応、小池位かなっていう程度の、見定めだと思われます。従って、小池新党は既定路線で誕生するでしょう。彼女の本性は、僕も以前から何度も扱き下ろしてる様に、小沢と同類で、悪賢いだけです。女狐自分一番大好き人間です。日本初の宰相を目指す事を最終目的として、何のイデアも持ち得ぬ野心のみの政治屋です。でも、彼女を使わないと、自民一強の下らない政治状況は変えることが困難な事は確かです。そんな次元の低過ぎる見取り図しか描けないのが、如何ともし難い、今の此の国の現実です。僕の歴史認識は、西洋中心史観からの脱却です。学問の世界も、未だに西洋史中心主義から卒業できずにあります。私も、恥ずかしながら、中国史やイスラム史等に関し、殆ど無知状態です。アフリカに至っては、完全なる無明世界になり、全然何も分かっていないレベルです。従って、こうした地域の歴史を理解できず、自分の住む極東地域の極々限られた所を土俵とする歴史認識でしかなく、そうした卑小なる視野では、正確で誤謬のない史的認識なんて、持ち得る筈がない。これが、僕が最初に指摘しておかなければならない、歴史認識を云々する際の、第一義です。勢い、学習した西洋史中心史観で史的現象を都合よく解釈させられ、日本史等の事象にも論を進めてしまう。そうした中で、ゴーマニズム宣言の小林よしのりなどの、自虐史観からの脱却のススメが拡散される。だが、僕は、そんなススメになんか、素直に乗っかれないのです。小林は、欧米列強諸国が近代以降世界大でヤラカシタ、帝国主義植民地争奪戦で数多の人々が犠牲となったり、現在に至る多くの負の遺産が残されてしまったりした事に対する、大いなる怒りや憤りの気持ちを、アニメメッセージとして主張する。それに感化され、米帝への過激な物言いがなされている自分ではないのだ。自虐的日本人からの脱却を叫びながら、自ずと排他主義へ導かれてしまう事を危惧するのだ。そうしたエスノセントリズムが、世界の至る所、蔓延している。その延長線上で、トランプ化現象に乗り、やたらと「ファースト」なる用語が多用されている。その代表格が、小池なのだ。そして、クールな朝鮮半島と日本との関係史を、見誤る仕儀に至るのである。