きょう5月24日の東京新聞に、神戸女学院大学の名誉教授であり思想家の内田樹氏が、「立憲主義廃絶への一本道」という寄稿を寄せている。
その寄稿で彼はこう書いている。
・・・特定秘密保護法、安保法制、共謀罪を経由してやがて改憲に至る・・・これは間違いなく立憲デモクラシー廃絶と一党独裁を目指す一本道だ・・・
私が書いてきたとおりの言葉だ。
その通りなのだ。
いまや、安倍首相は、共謀罪成立の後の、憲法9条3項の実現に向かって突っ走っている。
そして今の野党では、どう転んでもそれを阻止できない。
それどころか、都知事選とその後に続く国政選挙で野党は壊滅し、もはや護憲政党は共産党だけになるだろう。
それこそが安倍首相の狙いだ。
まさしく一党独裁である。
そして内田樹氏は自問する。
なぜ、「国民主権を廃絶する」と明言している政党に半分以上の有権者が賛成し続けているのかと。
そして内田氏は自答する。
それは、戦後生まれの日本人は生まれてから一度も「主権者」であったことがないからだと。
家庭でも、部活でも、就職先でも、社会改革を目指す組織においてさえ、常に上意下達の非民主的組織の中にいたからだと。
上位者の指示に唯々諾々と従う者の前にしか、キャリアパスが開けない世界だったからだと。
私が興味深いと思って読んだのは、その後に続く、日本の企業について語った次のくだりだ。
・・・企業労働者たちは会社の経営方針の適否について発言する必要がないと思い込むに至っている。それは「上」が決めることだ。それでも平気でいられるのは、経営者のさらに上には「マーケット」があり、経営者の適否を過(あやま)つことなく判断してくれると彼らが信じているからである。「マーケットは間違えない」。これはビジネスマンの信仰箇条である。売る上げが減り、株価が下がれば、どのような独裁的経営者もたちまちその座を追われる・・・
つまり日本国民の大勢を占める企業人、労働者こそが、主権を放棄しているというわけだ。
この観察は鋭い。
そして内田氏はその寄稿をこう締めくくっている。
・・・日本の統治者のさらに上には米国がいる。米国の国益を損ない、不興を買った統治者はただちに「日本の支配者」の座を追われる。これは72年前から一度も変わったことのない日本の常識である。統治者の適否の判断において「米国は決して間違えない」という信ぴょうは多くの日本人に深く身体化してる。それがおのれの基本的人権の放棄に同意するひとたちが最後にすがりついている「合理的」根拠なのである、と。
どうやら内田氏は日本の将来をあきらめているかのごとくだ。
そしていまや私のまわりにもあきらめ顔の者ばかりだ。
私でさえもそう思う時が増えて来た。
しかし、内田さん、あきらめるのはまだ早い。
安倍首相が憲法9条改憲を明言し、それを自らの任期中に行うと宣言した瞬間から、安倍首相は憲法9条の逆鱗に触れて、自滅への一本道を進む事になる。
廃絶への一本道は、立憲主義ではなく安倍首相の方なのである。
日本の政治を最後に動かすのは、日ごろ政治的活動などしない、声なき声だ。
声なき声が平和な日本を望む限り、憲法9条改憲はたとえ政治が否定できなくても、国民の手で否定される。
声なき声に憲法9条の大切さを見づかせるのが新党憲法9条の役割である。
憲法9条という名の希望を信じる私は、現実の政治がどんなに悲観的でも、楽観的である(了)
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