「権力クーデター」という言葉は、もちろん私の勝手な造語である。
クーデターという「法秩序の否定」は、抑圧された反権力側が行うものと、古今東西、相場は決まっている。
しかし、いま我々が目にしているのは、安倍一強という権力側が、法の支配を否定するという恥じない姿である。
独裁国家ならいざしらず、民主主義を掲げて再出発した日本において、70年もたった今、それが起きているのだ。
安保法の時もそうだった。
そしていま、天皇退位の特例法やテロ準備罪法が強行成立させられようとしている。
森友疑惑よりはるかに大規模で深刻な税金の私物化が、加計疑惑で明らかになった。
それでも、権力側の開き直りが、何のおとがめもなく見逃される。
それもこれも、権力側が既存の法秩序を否定しているからだ。
それを監視すべきメディアがメディアの使命を放棄しているからだ。
それを阻止すべき野党が、あまりにも無力、無能であるからだ。
そして、権力クーデターの行き着き先は、憲法9条の無力化である。
このまま行けば、間違いなく憲法9条3項に自衛隊明記が追加される。
そうなれば、その後の政治から、野党は要らなくなる。
なぜならば、憲法9条以外のあらゆる政治問題は、すべて是々非々で解決できるものばかりになるからだ。
国のあり方を問う大きな問題はなくなり、天皇制・憲法9条・日米安保という戦後の日本の三位一体の国体は、日米安保最優先一つに集約されていく。
それだけは何としてでも阻止しなければいけない。
安倍首相の手で憲法9条3項追加という改憲だけはさせてはいけない。
安倍首相の改憲を阻止できれば一発逆転ができる。
すべてをもとに戻す事ができる。
どうすればいいのか。
それは野党が一つになって出直す事だ。
最後の砦である憲法9条改憲阻止で文字通り一つに結束することだ。
それを、政治家でも何でもない私が言い出すようで話にならない。
既存の政党、政治家の中からその動きが出て来なくてはいけないのだ。
新党憲法9条の動きが出て来ない限り、安倍首相の権力クーデターは、東京五輪に向けて一本道で進むだろう。
しかし、新党憲法9条の動きが出てくれば、国民は動き、その動きは選挙の結果に結びつく。
いっきょに政権交代まで行かないにしても、安倍政権は倒れる。
安倍政権が終れば、すべてが改善に向かう。
政治の当面の課題は、政権交代ではない。
安倍政治から国民政治へ大きく舵が切らることだ。
その主役は特定の政権や政治家ではない。
国民だ。
国民が主役の、平和と共生をめざす政治。
それを実現するきっかけが新党憲法9条の誕生である。
私にそれを実現する力がなくても、誰かがそれを実現しなくてはならない。
そしてその時は今をおいて他にない。
安倍政権を東京五輪まで続かせてはいけない。
声なき声の国民が一番望んでいる事はその事に違いない(了)
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